雑記帳(2)-11-
天から神が降りてきたような展開で、写真講座を開始することにしました。
生徒になってくれる人がいて、講座補助をしてくれる人がいて、始まります。
ここ数年、写真を撮るツールが変わってきて、コンセプトも変わってきている。
最新のツールを使って、写真制作の現場をつくっていく、これが目的です。
講座運営に関してはこれまでの経験があるから、これを踏襲します。
学び合う内容が問われるところです。
全体像を把握する、学校、生産、発信、交流、四つの領域を理解する。
新しいコンセプトは、水平感覚で、共有しあう社会のなかでの、写真です。
反資本、そういう考えが顕著になってきているので、それにリンクします。
今年の夏は異常なほどに高温の日々が続いています。
巷は新型コロナウイルスの蔓延で、異常事態となっています。
政治経済領域では、大きな変革期がきているんだと思っています。
写真史写真論資料集-1-
雑記帳(2)-10-
とにかく暑い暑いと言っていても身体がなまるだけだから、歩きに出る。
とろとろ、カメラを携えて、暑い最中の取材は、2時間ほどが限度です。
八月に入って、市中のほうへ赴いていきましたが、今日は嵯峨嵐山方面へ。
嵯峨釈迦堂、清凉寺でバスを降りて、そこからが歩き歩きです。
鳥居本方面へは行かずに、大河内山荘から亀山公園へのルートです。
亀山公園頂上に展望台があると聞いていて、行ってきました。
保津峡をが眼下に見えて、正面には大悲閣の祠が見えました。
この前は雨に降られて、展望台にまで行けなかったから、再チャレンジ。
汗びっしょりで、シャツはずぶぬれ状態でしたが、気にしませんでした。
写真は、あいかわらずヒオウギ、今年はよく咲いています。
雑記帳(2)-9-
雑記帳(2)-8-
写真集<表現論>9
雑記帳(2)-7-
インスタグラムに、毎日一枚、写真をアップして写真集にする、という計画。
今年に入って、二回目の写真集は「表現論」と名付けた建築物シリーズ108点でした。
けっこう、記憶の建築物が多かったのですが、遠くからの写真でした。
コロナ禍ではソーシャル・ディスタンスなんて言葉が市民権を得ました。
生きてきた記憶の場所で、記憶の風景を、少し距離をとって撮影です。
次のシリーズを構想しているのですが、いまのところ明確ではありません。
市中へ入って、接近して記憶のモノを撮ろうか、とも思ったりしていますが。
まあ、少し休憩期間を置いて、やりだすとけっこう大変だから、です。
毎日一枚、直近で撮った風景を、加工してアレンジして、絵にするという試み。
写真を撮る構図の法則をはずして、見れる絵にする、そんな意識で作っています。
写真集<表現論>8
雑記帳(2)-6-
フォトクラブ京都の7月例会を開催しました。
メンバーに新しく三名の方が参加してくれました。
何かのご縁で、というのが口癖になっていますが、ご縁です。
写真を学びたいとおっしゃる方、写真を学んでこられた二人。
クラブとはいっても参加自由な個人意思による集まりです。
一昨年9月に立ち上げ一年半が過ぎたところで、少し先が見えてきた感です。
京都表現学校は開校しているんですが、学ぶ人がいませんでした。
おひとり、学びたいと希望される方がおられるので、カリキュラムを組みます。
基礎の基礎、基本に基本を、写真表現を軸にしてとらえていく気持ちです。
あらためて、あたらしいプログラムを作り、カリキュラムを作ります。
新しい表現の方法を求めて、数人で作り出していく予定をします。
なんだか希望がわいてきたところで、気分爽やかです。