1980年になって、中川繁夫が写真展をやった聖家族の壁面と空間を開放して、自主ギャラリーの場を創ろうと計画します。
<フリースペース「聖家族」開設のご案内>発行は1980年2月20日の日付です。
 今までも、地味なフリースペースとして活動してきた「聖家族」で、このほど新たに、発展的な個々の携わっている手段を、スムーズに発表できる場所として、より自由に解放していきたいと考え、ここに、フリースペース「聖家族」の開設を試みることになりました(あとは略します)。フリーペースといいながら自主ギャラリーですが、京都で自主ギャラリーが創設されたのは、これが最初ではないかと思っています。

 「聖家族」という名はキリスト教で、キリストと母マリアと父ヨセフの家族のことと記されていますが、京都の河原町の路地裏にあった「飲み屋・パブ聖家族」はヒッピー的若者の心の救済場所だったと理解しています。中川との交点は、中川が釜ヶ崎に写真展を開催したときに声をかけてきた若者が、京都の聖家族へ連れていってくれたのでした。運営していた石山昭さんと話を交わしているなかで、大いに共感するところがあって、この場所で写真展を開きたいと申し出たのです。リトルフォトスペース聖家族、と会場名をつけ、12月に展示することとなったのでした。

 自主ギャラリーのムーブメントは、1975年5月に「ワークショップ東京」が開校され、翌年1976年にそこを経過した若い連中が、自主ギャラリーを開設するのです。「プリズム」「キャンプCAMP」「プットPUT」が相次いで開設され、それまであったメーカー系ギャラリーではない、自分たちのギャラリー、自分たちで資金を出しあい、運営するギャラリー、です。東京からはじまる自主ギャラリー、そこに集まる写真愛好者のグループが各地に起こり、活動を始めます。それらの動きを伝えるのがカメラ雑誌で、その中心的な役割を担ったのが「カメラ毎日」だったと理解しています。

 1970年代の半ばに起こってくる一連の写真についてのムーブメントは、東京で写真の仕事をしていた東松、荒木、森山、深瀬、細江、横須賀が主催した「ワークショップ/写真学校」の先生たちと生徒たちが起こしてくるムーブメントです。写真と写真家たちの過渡的な時だったと、写真歴史の中で分析できると思っていますが、この潮流が、関東周辺に訪れ、関西に訪れ、京都に訪れてきて、人の脳裏を洗脳してきたのだと思えます。写真で飯が食えるか食えないか、ということに直面していた写真学校上がりの若い写真家たちの、ひとつの行き場が、自主ギャラリーであって、飯を食うのは写真だけではなく別に稼ぐ場をもつ、いまでいえばバイトですね、これと併用しながら身を立てていた、あるいは連れ合いに支えられる。

 こういう潮流の渦中で、フリースペース「聖家族」の創出が試みられるのです。フリースペース「聖家族」は1980年の夏で、聖家族が閉店することになって、終わることになります。主宰者の中川は、フリースペース「聖家族」通信をフリーペーパーで発行していて、第5号1980年7月で終わりとなります。いくつかの写真展、いくつかの映像上映会、シンポジューム的話しあう場、などのイベントを開催して終わります。この流れを継続するかたちで1980年8月1日付で「映像情報」が発行されます。月刊と銘打たれていますが、三年間12号を発行して終えます。別途映像情報のページを作る予定ですが、中川が発行の中心で、様々なイベントの仕掛け人になり、グループで実行していく要となります。 

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