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 1980年初めに聖家族通信を発刊しておりましたが、聖家族の閉鎖にともなって、中川の行為の場がなくなります。当時、1979年12月には、中川が編集主幹で「季刊釜ヶ崎」を創刊していて、それとは別に写真と評論のフリーペーパー「映像情報」を創刊したのです。創刊号の発行は1980年8月1日付です。マスコミに対してミニコミという概念が語られ、マスコミの発刊物に対して小さなメディアを創る、という発想です。創刊号は版下を手書きして、乾式のゼロックス社のコピーにしてホチキスで止めるという表紙含め10ページで、販売価格は100円です。

 フリースペース聖家族は、映像情報の記事記録によると、1980年7月に再開のパーティーを開催していますが、その後再開できないまま閉鎖になったのです。拠点を失って、フリースペース聖家族は閉鎖しますが、通信として、名前を変えて「映像情報」が中川繁夫の責任編集のもと、発行されることになります。同人を募集しますが、設立時にはテレビモアの岡崎、瀬川コンビが名前を連ねてくれただけで、写真関係からの同人はありませんでした。共同で制作する批評誌をめざしていましたが、中川繁夫編集の個人史になって1984年1月までに12号の発行をもって終わります。

 大阪には「オン・ザ・シーン」誌が発行され、友好な関係で、同人誌としての「オンザシーン」と個人誌としての「映像情報」が交流します。東京では「写真装置」が発行され「コぺ」が発行されています。メジャーにはなりきれなくてマイナーに徹しなければならない状況で、決して楽なものではありませんでした。マイナーな雑誌とはいえ発行するたびに三万円ほどの経費がかかりました。「オン・ザ・シーン」などは百万円ほどかかっていたのではないかと思っています。自らの目メディアを持つということの困難さは、しだいに緩和され、フリーペーパーが巷にあふれる時代が、そのあとにやってきます。それに伴って、写真の発表が容易に行えるようになります。

 2018年の現在、写真集の少部数発行が可能になり、発表される写真も大量になっています。1980年当時なら、発表する写真といえば、撮られた膨大な数からすれば、微々たる数で、いきおい厳選された写真が表出されていた時代でした。昔が良くて今が悪いとかは、まったく思っていなくて、大量に放出される写真群においても、惹きつける写真には惹きつけられる、そういう現状だと思えます。「映像情報」誌が優れていたなんて、評価はしませんが、個人メディアとして存在したという事実を伝えたいと思うところです。大きな写真ムーブメントのなかで、そういうこともあった、という記録として残ればいいなと、考える次第です。