京都写真学校カリキュラム
執筆:中川繁夫
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(002)未来写真のキーワード

はじめに

今年は2011年です。
フランスで写真が発明されたのが1839年ですから、写真発明から170年余りが経ったところです。
さて、ここでいう「未来写真」とは、現在から未来に向ける写真の、内容、テーマ、そういったことを考えて制作する写真。
その枠組みだと思っています。

今の時代は、デジタルカメラの時代ですし、パソコン、携帯電話を通じて発信されます。
発表の形態では、ホームページやブログなど、自分で情報を発信できる時代になっています。
なにより驚異的なことは、携帯電話にはデジタルカメラが付いていることです。
いまや、誰もが常時カメラを所持している時代だという認識です。

京都写真学校では、制作した写真を、提示するのに、現在(2011年)、紙にプリントアウトした写真でも、モニターに映し出した写真でも、どちらでもよいこととしています。
経済効率とか、利便性だけではなくて、表現の方法、提示の方法、そのことによる見せ方、インパクト、などなど、新しい時代を迎えていると認識するので、提示の方法、展示の方法も、工夫を凝らしているところです。

今や時代は、デジタルです。
テレビ放送もデジタル化され、携帯電話、デジタルカメラ、それなりに動画まで撮れます。
通信回線の大容量高速化、このインフラで、静止画像としての写真から動画へ、移っていきます。
そういった環境の変化に対応する写真制作の方法を、編み出さなければ意味がないんです。

こうして、環境を整えながら、何が未来写真なのか、という問題は、これから始まるところです。


(1)未来写真のキーワード―生命、自然、欲望―

現在とこれからの写真の主要なテーマは
<生命、自然、欲望>をめぐる3項目に要約されてくるのではないかと思います。

<生命>とは、こころを科学の領域としてとらえていくことの方向です。
これまでこころの領域というのはおおむね非科学的領域としてきました。
フロイト以後の心理学分野では
臨床成果を積み重ねることで科学的立場を持つようになってきました。
これからは、幻想領域つまり妄想・幻覚・幻視など
科学的に扱いにくいといわれてきたことをも含めていくことです。

これは科学的手法でもって非科学領域とされていた分野を解明していくという作業です。
個体を超えていく意識、というイメージがあります。
人間って合理性や道徳性に囚われることで自己というものを防衛していますが、
合理的・道徳的でないとされてきた領域を取り込んでいくことです。

写真表現の領域というものが、
いつもその外部にある社会科学や自然科学
そして非科学的風評のなかで創られていくことを
取り込んでいくことで拡大してきたのだとすれば、
この先におこってくるテーマは、
いまの世の中の関心ごととその先にあるものを見えるイメージとして
創生していくことになります。 
 
<自然>とは、やはり現在の世の中の関心ごとです。
人間だけじゃなくて有機生命体として個体そのものがあるところ、
宇宙や地球という環境のなかでどのように整合性をもって生命が維持されていくのか、
という基本命題にたいして、どのように対処していくのがよいのかなと思うことです。
ぼくたち人間は文化という概念を生成させてきました。
その枠内で様々に考え行動する規範というものを作りあげてきました。

写真家という人は、写真という装置と手段をもってこの作りあげてきた内容を吟味し
未来を予測していく作業をします。
これはいつも自己矛盾を含みながらの作業となるように思います。
<自然>の方向へとは、ぼくたちの日常にある<文化>という枠を外していくこと、
可能であれば原初生命体のレベルで感じていくことです。

<欲望>とは、情動つまり快感・不快感という感情レベルが
生成されてくる処についてのイメージです。
ぼくたち人間も含まれる有機生命体には
生命維持階層のシステムとして内分泌系、免疫系、神経系の
三系の構造に区分されていますが、
どうも欲望という情動はその基底の内分泌系に由来するようです。

その欲望というものをどのように開放してあげることができるのか
、というのがこれからの写真のテーマです。
写真がこころの深~いその場所に触れてしまうときっていうのが、
深い感動を共有できる場面なのではないかなと思います。

これからの写真表現を考えていくにあたって、
ぼくはこの3つのキーワードを手がかりにしながら、
あらためて「写真」がこれまで表現しようとしてきた社会の表層構造
(政治・経済、芸術、宗教の総合)に
アプローチしていくことが必要ではないかと思っています。