京都写真学校カリキュラム
執筆:中川繁夫
nakagaw shigeo 2004.6.7~2008.1.25
310_1025
(008)写真を越えて新たなアート分野へ

写真は記録であるという考え方で、
これまでの写真が撮られてきた歴史があります。
ドキュメンタリーという考え方です。

戦争の現場や公害発生の現場で、また都市の中で、農村の中で、
さまざまな場所でたくさんの写真が撮られてきました。

その一方で写真はいつも美術と密着しながら、
美術(特に絵画)とは別の考え方で、
レンズの特性を生かしたり細密描写をしたりしてきました。

それらはいつもカメラという道具を使って、
現実を切りとる方法として定着してきました。

ところで20世紀の後半になると、
美術家と呼ばれるひとたちが、
作品つくりの道具としてカメラを使い始めました。
写真装置を、それまであった枠を越えて使い出したのでした。

これには一枚の紙の上に写しこまれる写真としての、
形式は変わらないけれども、
その考え方が美術の潮流の中にあるというもの、
また写真そのものを加工して作品としたもの、
紙の上ではなく立体面に写真技法を使ったもの、
などいろいろと工夫がなされてきました。

そして今や、写真という概念は非常に変形してきたように思います。
現代美術という分野が、かってあった美術セオリーを覆してきたように、
写真においても、かってあった写真セオリーを覆してきて、
今やもうセオリーが崩壊してしまった観があります。

これはなにも美術や写真の中にだけ起こっている現象ではなく、
人間をとらえる視点、これまであった哲学的視点、
近代科学の枠組み、国際政治世界の枠組みの変更など、
かってなかった程に変化しています。

写真は、これまでの写真の枠組みを越えて、
新たなアート分野に入ってきています。

新たなアート分野とは
、高尚だとか低俗だとかの判断基準ではないところで創造されるもの。
新たな、しかしかってあった類似形の、人間関係を結ぶ手段としての道具。
こういう場所に来たんだと思います。

特にいま、生命という言葉をキーワードとして、
ここに近代の合理主義や機能主義の考え方が封印してきた、
人間や動物や植物たちの精をよみがえらせるための方法が
模索されていますが、
写真にあってもその例外ではないと思います。
写真は生命活動であり、生命活動はアートすることであると思います。

-ポイント-

◎現在は「生命」というキーワードのなかで、こころ・自然・欲望がテーマです。

◎写真は生命活動であり生命活動はアートすることです。

◎食べることが身体維持の基本的営みとすると、
アートすることが精神維持の基本的営みです。

この食べることとアートすること、
二つの基本的営みが一体のものとしてとらえていく視点が、
これからは求められていくのだと思っています。