京都写真学校カリキュラム
執筆:中川繁夫

☆☆写真学講義☆☆
nakagawa shigeo 2004.6.19~2008.2.6
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2006年9月の実習風景

(016)写真テーマの現在

1 写真を学ぶキーワード
写真ってどんなものなんですか、
って問われて明快に答えって出てきますか?
真実を写すもんなんや、って言ったって
そんなこといったら余計に複雑極まりないですしね。

でも写真って不思議なものです。
考えれば考えるほどわからなくなってくるように思っています。
そこで写真ってのは器であってその中味は他の体系に依存する。
このように括ってみるとおぼろげながら見えてくるものがあります。

現代社会を論理付ける枠組みそのものを
具現化したものが中味ではないか?って思うんです。
そこで現代社会の話題となるキーワードをだしてみました。

1、生命、こころの科学的解明と非科学領域
2、自然、地球、宇宙の捉え方
3、人間の欲求、欲望、情動のありかと社会制度
4、政治、経済、芸術、宗教の再融合化

非常にアバウトなものですが、こんな区分を仮説してみて
それらについて自分が捉える位置というのを明確にしていくこと
そこからどのようにイメージ化していくのか、
っていうのがキーワードになるように思うんです。

いまの時代、そんなん理屈と違うよ、っていう風潮もありますが
そんな風潮の中でこそ問題を明らかにしていく必要があると思うんです。

写真を学ぶ写真学校の基本的スタンスをこのように求めています。

2 写真のテーマが向かうもの
写真のことについて考えていくとハードウエアとソフトウエアのことに二分されます。
ここではソフトウエア、写真のテーマについて少し考えたいんです。

写真のテーマが個人の内面を照射してそこから感情を交えたイメージをつくる。
こんな風な方向にきているような気がしています。

いまは、撮られた写真に大きな物語を感じさせるかどうかは置くとしてですね。
非常に個人的な体験を中心として写真が撮られてきているように見受けるんです。

個人の内面が置き去りにされている時代って言えばよいのでしょうか?
ふっと気がつけば私は孤独、なんてことありますよね。

特に最近の傾向として自分自身を考えるということがあるようです。
しかし自分自身を考えるなんていう枠組みが希薄な社会のようです。
そこで悩んでしまう人たちが多いと思うんです。

自分を告白したい衝動に駆られる!
ネット上の個人ホームページの匿名記事が告白に満ちていると思いませんか?
内なる衝動を匿名のままだったらさらけ出せる!

この自己表出の形式には次のようなものがあります。
日記体文学という形式をとったり写真・映像という形式をとったりです。

かってはノートに日記を書くという行為が詩作や小説につながっていったのですが、
いまの時代はパソコンツールで日記ホームページが簡単に作れてしまうので、
一定の形式を踏まないと出来なかった作品レベル以前の文章や写真が公表される。

こんな時代なんかな~って思っています。
そうだとしたら発表の場が一気に拡大しているわけですから、
ここでは写真。写真のテーマが個人のプライベートな露出に向かってきたことも理解できます。

こういうデジタルネットワークの時代の写真のテーマが「私」そのものであることは、
ハードウエア側面からの援護で一気に顕著になってきたようにも思います。

学校カリキュラムとして、この現象を精確にとらえていくことが必要だと考えています。