京都写真学校カリキュラム
執筆:中川繁夫

☆☆写真学講義☆☆
nakagawa shigeo 2004.6.19~2008.2.6
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あなたの写真を撮る目的は何ですか?

何のために写真を撮るんですか?と問われて、あなたは何と答えますか。

写真が社会の記録媒体として重宝された時代がありましたが、いまや社会の記録媒体の主流はビデオ映像ですね。
ということは写真が社会的なステータスから使われ方の位置が変わったんです。

その変わり方というのは、よりプライベートなものとして写真が使われるようになった。
このプライベートに使う、ということが大事な視点だと思います。
個人のコミュニケーションの手段として、写真を使う時代ですね。

カメラもデジタルカメラが主流になってきました。
パパやママは、わが子の写真を日記代わりに撮っています。
いわゆる家庭アルバムに収められる家族の記録です。

また、友人とともにいるときに写真を撮りますね。
居酒屋でパーティーをしてるときなんて気分も乗っているし、もうふざけ気分で写真をいっぱい撮りまくりますね。

このような現状は、写真が芸術か否か、なんて無効であるようにも思えます。
あるいは、写真は記録である、これはまだ生き残っているかも知れないですね。
大きな物語の記録じゃなくて、個人のプライベートな関係の記録です。

個人のプライベートな関係っていうのは、おおいにテーマとなります。
大きな物語の記録から解き放たれた写真が、プライベートな関係になるんです。
そうすると歴史を見る視点も変わってくるんじゃないかな~。
日々作られるニュースの視点は個人の感情を刺激します。
特に個人のプライバシーにコミットするニュースねたですね。

報道の視点が個人のプライバシーに立ち入ることと、個人がプライバシーを公開することとは意味がちがうですね。
写真が撮られて公開されるとき、この意味の違いがなんであるかを語ることで、写真が家庭アルバムの位相から、時代の記録になる位相へ変わっていくように思います。

さて、あなたが写真を撮る目的は、いったい何なのですか?

なぜ写真を撮るの

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なぜ写真を撮るの?どうしてこんな設問を立てたのかというと、だれもが何気なくパシャパシャとシャッターを押して、写真を撮っているんですけど、写真を学ぶことのなかで、たいてい、この問題に突き当たってしまうからです。
「なぜ」写真を撮るのか、なんて思っただけでも難しいじゃないですか。だから、普通はこんなことは深く考えない。でも、まま、行き当たってしまう習性のボクは、このことを考えるんです。俗にゆう理屈ってやつです。

あい写真学校ってのを運営してるんですけど、そこには技術習得だけではないですよ~って標榜してるから、あえて今回は、この問題を取り上げたわけです。で、あらためて、なぜ写真を撮るの?ってキミに聞くけど、どうですか?なにか答えが導けそうですか?

算数や理科は、答えが決まってるから、その答えに向けて問題を解いていきます。ところが、なぜ写真を撮るの?っていう問題は、決まった答えがない問題なんだと思っています。同じような問題で、判りやすくゆううと、キミが男だったら誰かしら女の子を好きになる、女だったら男の子を好きになる。なぜ好きなの?って聞かれて、自分で考えてみて、あれやこれやと想いめぐらしますけれど、どうですか?本当のところ、なぜだかわからない・・・。

ボクは男だから、男の立場でいいますと、好きになった女の子、着ている服が似合うから・・・とか優しいから・・・とか、なんとなく相性がいいんだよな・・・とか、あれやこれやと納得できる答えを考える。でも、やっぱり本質のところわからない、これが実情ではないでしょうか。

いわば、なぜ写真を撮るの?って聞かれて、あれやこれやと考えをめぐらすけれど、やっぱり本質のところわからない。わからないということなんだけど、ちょっといろいろな観点から、考えていきたいと思うのが、このシリーズのもくろみです。

-2-
なぜ写真を撮るの、って聞かれて、答えられることに-好きだから-という答えがあります。好きなもんを撮る。現代では、これが基本だと思っています。もちろん頼まれて撮る写真ってのがあるわけです。プロカメラマンというのは、頼まれて撮るわけです。頼んだ人とか会社とかが、それでお金をくれる。でも、この人たちは、好きなもんを撮っておればいい、なんてことじゃない。そのうち日本では1970年代の後半ごろからだけど、好きなもんを撮って、売るということが出てきた。オリジナル・プリントといって、写真を美術作品と同じレベルで売買するシステムです。

ボクの好きなモノは、キミも好きなモノだとしよう。ボクが撮ったモノが、キミも好きで、だからキミが手元に置いておく・・・。もちろんお金を出して買うわけです。売ってるところはギャラリーです。ところがここに大きな落とし穴があるんです。写真が商品価値である、という落とし穴です。どうゆうことかとゆうと、好きでもないけど買ってもっておれば、値段が上がる。とか、お金で置いておくと、いろいろとヤバイから、金を買って置くようにして写真を買っておく。でも、このシステムはうまく動かなかった。

元に戻って、なぜ写真を撮るの、と問われて、撮るときの快感がいい!なんてゆうのもあります。たとえばカメラを持って撮影会にいく。撮影会ってのは企画してくれる処があるから、そこへお金を払っていくわけです。ヌード撮影会・・・いまだったら、アイドル撮影会、そしてもっとディープなモデル撮影会もある。こりゃ裸の女の人を見たい、撮りたいという欲望を刺激してる、商品を買う、ということです。撮影は生、実演、生舞台です。そりゃ~迫力あるですよね。

もう一度元に戻って、なぜ写真を撮るの、と問われて、好きだから、キミが好きだからキミの写真を撮りたい!ずばりそのことです。基本的には、好きなモノを撮るわけだから、このモノがキミなのだ!そうでしょ、写真を撮ってる時ってワクワクしなくちゃ撮れませんもんね!といいながら、写真を撮るときには冷静さが必要だ、と云います。被写体の、つまり撮るモノの、細部を見て撮れ!と云います。ワクワク、そわそわじゃ~写真が撮れない・・・。これがホントかウソか、まあ考えてみな!

-3-
写真を撮るなかに、好奇心という本性があるように思います。写真は、写真を撮る、という行動が伴います。自分が知りたいことについて、知ろうとする行為なのかも知れない。写真が、記録であるとか、アートであるとか、そうゆう論は、行為するための意匠であって、論を交わして写真を撮るとゆう衝動ではありません。写真を撮るという身体の行為は、知りたいとゆう好奇心がそうさせるんだと思います。

ヒトが生きていくには、エネルギーが必要です。エネルギー源は、第一に食料です。食べることです。もちろん住居をつくる必要があり、共同生活を営む必要があり、その中に食料の確保があります。そうして子孫を残すための行為があります。食べて寝てセクスする。これがヒトの生存のための条件なんだ。でもこれだけじゃ、動物行為です。ヒトがヒトたるためには、創造する行為があります。関係性の創造なんてことも考えますけど、目覚めた意識は、他を知りたい欲求を持ちます。

他を知りたい欲求は好奇心となって、わたしたちを欲望にかりたてます。このときにカメラがあるから、カメラを持って、知りたい、を満たそうとする。写真を撮る、という行為の底流には、このような欲求を満たす道具として写真がある。このように考えるわけです。

いまの時代は、お金を出してモノを得る選択の時代です。生活必需品から高価な装飾品まで、持ちえるお金で、何が得られるかを選択する時代です。この商品のなかに、写真を撮る道具、カメラがあるというわけです。好奇心を満たすために、新聞読んだりテレビを見たりします。これらは、好奇心を満たすための情報を受動的に得るわけです。で、写真を撮る、というのはむしろ能動的、みずから行動していく満たし方です。
2006.2.7 nakagawa shigeo