京都写真学校カリキュラム
執筆:中川繁夫

☆☆写真学講義☆☆
nakagawa shigeo 2004.6.19~2008.2.6
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2007年10月第三期写真セミナー風景

写真を私に見せる?

前回は、写真を誰に見せるの?ということでしたが、
そこでは、あなたに見せる写真、ということを導きました。

写真は自分を見つめていく鏡だ!っていうのが今日のテーマです。

自分っていったい何、または何者なんだろう?って・・・
こんな疑問を抱いたことありませんかね。
社会の器の中で相対として他人がいて自分がいる。
その自分っていう中味のことです。

写真に限らず芸術という行為にもおよぶことなのだと思っていますが、
この「自分を見つめる」ということが必要なんですね。
これは解けそうでなかなか解けないですよね、きっと。
でもこの「自分とはなに?」っていう問いを解いていく道筋が必要なんです。

他人のことはよくわかる、といいます。
他人を理解するのには、もちろんその時々の価値観に基づいて、
それに照らし合わせて、外面のこと、どこどこの学校出てるとか、
どこどこの会社でこんな仕事していて、立派やね、とか。
その反対の「けなし」もやりますよね。

でも自分のことを自分で考えてごらんなさい。
たしかに家族がいて、学校に行っていて、アルバイトして・・・とか、
自分の外回りの環境はわかります。

でもでもね、ここでも、そんな自分っていったい何?っていう疑問がでませんか?

写真を撮るっていうのは、いろいろ考えるんです。
何を撮ろうかな?自分の好きなアレを撮ろう!
そうして撮ったモノをみて、そのモノの自分が撮った意味を問い、
社会通念の枠にそって理解していきます。

やさしい気持を表現したい!楽しい気持を表現したい!
そうして、そのやさしさや楽しさの中味を撮ろうとするんです。
自分との対話っていいますが、写真というものを介して対話するんです。

こうして自分を知っていくプロセスのなかで、
作り出されてくる写真が作品となって残るんですね。
けっきょく自分とは何?っていう
最終の解答は見つけられなかったとしても、
自分の撮った写真を自分に見せていくことで自分を知っていくことになる。

まあね、判ったような判らないような、ぐるぐる回りのお話ですが、
自分に注目することって、けっこう現在的なテーマなんですよ!