☆☆写真講義☆☆ 応用理論編
写真と宇宙(1)(2)
nakagawa shigeo 2004
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写真と宇宙(1)

なぜ写真学校のはなしに宇宙なのか、というとですね。

写真を勉強するというきっかけによって、
参加する一人ひとりの時間と空間が変化して
新たに一つの場所が出来るわけですね。

写真ワークショップ京都という学校は、狭い限定空間としての教室(対面講義)です。
通信制のあい写真学校は、ネットワーク空間としての教室(通信講義)になります。
そういうふたつの学校形態を想定するなかで出てきたのが<宇宙>です(笑)

写真という場が拡がって最大限拡げてみたらどのへんまで拡がるのかな~
そうしたら<宇宙>というイメージにまで拡がってしまった、というのです。

写真という装置をつくる基本はカメラという箱です。
このカメラという箱は物理科学の領域で組み立てられています。
ですから宇宙を物理の領域で捉えて、写真と宇宙をドッキングさせます。

岩波新書に「ハッブル望遠鏡が見た宇宙」という本があります。
そこに「ハッブルの最深宇宙像」という写真があります。

その写真の一点を矢しるして写真説明に
「宇宙誕生から6億年」のときの銀河ではないか、とあります。

つまり宇宙誕生から140億年」といいますから、
今から134億年前の光が捉えられた写真!!です。

たぶん人類が見た一番遠いところです。
それもコンピューターの合成写真とはいえ可視光線なんですよ。
コンピュータグラフィックではないんです。

この視点から写真を見ると、
写真は発明のときから、
遠くのものを近くへ引き寄せる道具として使われてきたんです。
そして現在といっても10年ほど前(1994年)に、
「最深宇宙像」にまで行き着いた遠さなんですね。

今日は写真の行き着いたマクロな世界を見てみました。
次回は人体の内部に入った写真、ミクロな世界をみようかな~です。

写真と宇宙(2)人体

宇宙がマクロの世界だとすると、人体というのはミクロの世界です。

電子顕微鏡で遺伝子を撮影する、
電磁波で子宮内部の赤ちゃんの生成を撮影する。
そういう微粒の世界や透視で内部をみることの出来る装置と技術が確立されてきています。

人体内部の物質が写真に撮られている、ミクロな世界を拡大して写真にする。
そこから生み出される画像を「静止画」といっていますが、写真ですね?

写真の定義で、なにをもって写真とするのか、ということを話題にしましたけれど、
大宇宙も人体内部も、現実に物質として存在する「もの」を撮っています。

写真装置は、カメラ(暗箱)とフィルムのセットから、
今は、光のデジタル信号変換とコンピューターのセットになってきています。
写真の拡大の現在の状況ですね。

これらの写真は写真装置も含め、近代科学の進歩の成果です。

写真というものが、遠くのものを近くへ引き寄せる道具の役割を担ってきた、
という社会における写真の役割論があります。

写真発明以後の時代には、
探検写真家がカメラを携えて旅行に出かけて写真を撮りました。
写真家は旅先で見た光景を写真に収めてパリに持ち帰ってきて、
写真をみた市民たちが好奇心をかき立てられるということが起こりました。

一般には、現在においても、このような写真の使われ方が主流であるかのようです。
宇宙や人体内部にまで入り込んだ写真。
まだ見ぬ世界を見たいという好奇心を満たしてくれる写真の存在なんです。

写真は記録であると同時に学術的価値を提供するものでもあったわけです。
宇宙開発の現場で、医学の現場で、農業の現場で、社会の隅々で、
近代科学の枠組みで、研究開発の只中で写真が貢献することは多大です。

でも写真、写真表現っていうときには、ちょっと違った意味をもってきますね。

ここでは様々な切り口で試論の入り口をつくってきています。
写真というものが持っている用途があまりにも多様化しているから、
その多様性のそれぞれを分類していく作業でもあると思っています。