中川繁夫の記録

中川繁夫のブログです。

2018年07月

 1979年12月に、中川繁夫の名前で初個展「釜ヶ崎」を開催することになるんですが、当時の中川の思いの中に、写真を発表する場所として、既存のギャラリーや美術館ではない場所、空間を思い描いていました。1979年8月に、釜ヶ崎の三角公園で夏祭りが開催されるのに合わせて、青空写真展を開催しました。聖家族での個展は、この流れの中にありました。そもそもの話で、なぜ、フリースペース聖家族だったのか、ということですが、これはある種の偶然、聖家族の運営者石山昭さんと写真展「釜ヶ崎」の話をしていて、この写真展は1979年12月に開催したのです。

 この写真展は、ポスターを作ってもらって、市中の各所に貼ってもらって、それを見たという写真愛好者が何人かきてくれました、その人たちの話題の中で、自主ギャラリーの話がでて、ギャラリーを持ちたい、作りたい、という話題になって、それは当時の若い写真愛好者たちの願望みたいに、なっていたのです。別のところで、この自主ギャラリーを作りたいというストーリーを書きたいと思いますが、ここではフリースペースの話題になって、中川がここ(飲み屋パブ聖家族)でそういうスペースができないか、と話したら、石山さんが軽く承諾してくれて、1980年2月にはフリースペース「聖家族」開設の案内を作成し、配布したというところです。

 若いとはいっても中川と同世代ですが、写真愛好者の面々が個々に、自主ギャラリーを作りたいとの話題を持っていたのです。若い写真愛好者は、それぞれにグループを作っていて、各大学の写真部的な集まりを指導するという人たちでした。中川は当時、カメラクラブに所属していて、それなりに活躍しているなかにいましたが、若い写真グループには、ある種の共感と期待を抱いた記憶がよみがえります。でも、いま思うと、ヒエラルキー的に組織化されていないグループで、写真雑誌でいえば「カメラ毎日」の愛読者的な感覚の人たち。東京発の情報になびいている若者という感じだったのす。

 東京では、1976年に、自主ギャラリー「プリズム」がオープンし、「CAMP」がオープンし、「PUT」がオープンします。これらの自主ギャラリーが生み出される基は、前年1975年に発足する「東京ワークショップ」です。このWSのゼミ生らが自主ギャラリーを創出するのでした。中川も、この一連のニュースは、カメラ雑誌を通じて名称だけ程度でしたが、知っておりました。自主ギャラリーが欲しいという関西の、京都の、大阪の、若い写真愛好者たちは、この東京情報に基づき、熟成していたと考えています。こういう渦のなかで、フリースペース「聖家族」の構想が生まれてきたと、記憶をふり返りながら、思えます。

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 1980年になって、中川繁夫が写真展をやった聖家族の壁面と空間を開放して、自主ギャラリーの場を創ろうと計画します。
<フリースペース「聖家族」開設のご案内>発行は1980年2月20日の日付です。
 今までも、地味なフリースペースとして活動してきた「聖家族」で、このほど新たに、発展的な個々の携わっている手段を、スムーズに発表できる場所として、より自由に解放していきたいと考え、ここに、フリースペース「聖家族」の開設を試みることになりました(あとは略します)。フリーペースといいながら自主ギャラリーですが、京都で自主ギャラリーが創設されたのは、これが最初ではないかと思っています。

 「聖家族」という名はキリスト教で、キリストと母マリアと父ヨセフの家族のことと記されていますが、京都の河原町の路地裏にあった「飲み屋・パブ聖家族」はヒッピー的若者の心の救済場所だったと理解しています。中川との交点は、中川が釜ヶ崎に写真展を開催したときに声をかけてきた若者が、京都の聖家族へ連れていってくれたのでした。運営していた石山昭さんと話を交わしているなかで、大いに共感するところがあって、この場所で写真展を開きたいと申し出たのです。リトルフォトスペース聖家族、と会場名をつけ、12月に展示することとなったのでした。

 自主ギャラリーのムーブメントは、1975年5月に「ワークショップ東京」が開校され、翌年1976年にそこを経過した若い連中が、自主ギャラリーを開設するのです。「プリズム」「キャンプCAMP」「プットPUT」が相次いで開設され、それまであったメーカー系ギャラリーではない、自分たちのギャラリー、自分たちで資金を出しあい、運営するギャラリー、です。東京からはじまる自主ギャラリー、そこに集まる写真愛好者のグループが各地に起こり、活動を始めます。それらの動きを伝えるのがカメラ雑誌で、その中心的な役割を担ったのが「カメラ毎日」だったと理解しています。

 1970年代の半ばに起こってくる一連の写真についてのムーブメントは、東京で写真の仕事をしていた東松、荒木、森山、深瀬、細江、横須賀が主催した「ワークショップ/写真学校」の先生たちと生徒たちが起こしてくるムーブメントです。写真と写真家たちの過渡的な時だったと、写真歴史の中で分析できると思っていますが、この潮流が、関東周辺に訪れ、関西に訪れ、京都に訪れてきて、人の脳裏を洗脳してきたのだと思えます。写真で飯が食えるか食えないか、ということに直面していた写真学校上がりの若い写真家たちの、ひとつの行き場が、自主ギャラリーであって、飯を食うのは写真だけではなく別に稼ぐ場をもつ、いまでいえばバイトですね、これと併用しながら身を立てていた、あるいは連れ合いに支えられる。

 こういう潮流の渦中で、フリースペース「聖家族」の創出が試みられるのです。フリースペース「聖家族」は1980年の夏で、聖家族が閉店することになって、終わることになります。主宰者の中川は、フリースペース「聖家族」通信をフリーペーパーで発行していて、第5号1980年7月で終わりとなります。いくつかの写真展、いくつかの映像上映会、シンポジューム的話しあう場、などのイベントを開催して終わります。この流れを継続するかたちで1980年8月1日付で「映像情報」が発行されます。月刊と銘打たれていますが、三年間12号を発行して終えます。別途映像情報のページを作る予定ですが、中川が発行の中心で、様々なイベントの仕掛け人になり、グループで実行していく要となります。 

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中川繁夫において、写真の枠組みを構成する領域を明確にする作業をおこないます。
ここは枠組み構成のための<目次ページ>です。
目次に羅列の項目に基づいて、映像化して、シリーズにする計画です。

映像化のための個別プロセス

中川繁夫の関西・京都における1980年代の体験的写真史
 ・フリースペース「聖家族」1980.2
 ・フリースペース聖家族の創出1980 
 ・自主ギャラリーを持ちたい願望
 ・聖家族での釜ヶ崎写真展1979.12
 ・テレビモアグループとの出会い1979.12
 ・映像情報の発刊1980年8月~
 ・自主ギャラリー「ザ・フォーラム」の創設1982年
 ・東松照明の世界<いま>展への参加
 ・フォトシンポジューム京都1981年&1982年
 ・図書館に写真集を!、運動1982年
 ・東松照明さん京都へ来る1981.12

1、自分をめぐる活動あのころ
1980年代
 (1)飲み屋「聖家族」のこと1970年代から80年代へ
 (2)季刊釜ヶ崎と映像情報発刊前後1980年から1984年へ
 (3)フォトハウスの構想と東松照明さん1984年
 (4)フォトハウス写真ワークショップ京都1985年~
 (5)フォトハウス資料室1988年
 (6)写真図書館設立1992年

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