中川繁夫の写真記録

中川繁夫のブログです。

2020年05月

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身の回りの整理をしていて、手元にある書籍や雑誌を、人にあげたりゴミに出したりしているところです。ここに至るまでには心の葛藤というか、自分の記憶を捨ててしまうことにつながるので、なかなかできなかったことでした。でも、高齢者になってきて、いずれ処分をしなくては、という気になってきたのは、家族が処分を望んだからでした。もう何十年間か作品の額で隠されていた書架を整理していたら、カメラ毎日の最終号が保管されていました。アサヒカメラや日本カメラ、それにコマーシャルフォトなども一冊か数冊保管されていました。そのなかでもカメラ毎日は、その当時、いちばん身近に思っていたカメラ雑誌でした。ぼくは、反カメラ毎日を考えていた輩でありました。

カメラ毎日の編集長は西井一夫さん、ぼくと同い年です。もう20年ほどまえに癌で亡くなっているので、記憶の人です。特に親しい関係ではありませんでしたが、東川の写真フェスティバルで、宿泊の部屋が植田正治さんと西井一夫さんと一緒でした。植田さんは写真美術館の図面を持ってきておられて、それを見せていただけました。西井さんとは暗黙の了解とでもいうように、深い話はしませんでした。このときはすでに1990年代に入っていて、カメラ毎日の終刊は1985年4月号ですから、すでに10年近くが過ぎていたときでした

1985年というと、写真表現の過渡期で、カメラ毎日の編集はその信奉者の巣で、新しい時代の予兆を選集長の西井さんは察知されていて、終刊にするという判断を下したのだと思っています。東松照明さんの京都シリーズがカメラ毎日の紙面で連載されている最中でした。フォトハウスの構想を練っている時には、カメラ毎日が集めている写真愛好者たちの意識を、新しい潮流に変えていくシステムとしての器、フォトハウスでした。写真表現をアートの一環としてとらえたり、オリジナルプリントの概念を表に出したり、このことが必要な時期に、カメラ毎日は機能しなくなっていたと思うのです。西井さんもそのように思っていたと確信しているところです。



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自分っていったい何者なんだろう、なんて今更こんな質問を自分に問いかけてみても明確な答えが出てきません。そもそも、こういう質問を自分に向けて発するということが、いつごろから起こってきたのだろうか。ぼくが思うにはパスカルのパンセあたりが、これの最初じゃないかと思うのです。といいながら、パスカルの研究をしたわけでもないし、パンセを読みこなしたわけでもなくて、なんとなくのイメージと刷り込まれなのかも知れないです。

自分を対照的に、向こうに置いて、そこから自分を見てみる、考えてみる、そういう作業が人間ならできそうな気がします。自分を分析するということです。他人を相手にあれこれと科学とかいう手法で、分析してしてきた歴史があるじゃないですか。この他者を自分に置き換えて、自分を相手に科学手法を使って分析する、ということ。これ、ぼくは現在の、認識論、芸術作品制作のテーマになるように思うのです。

自分とは何か、こういう問題だと思うのです。この問題に対して、どのような答えを導くか、それぞれの個人が導きだす答えは、すべて正解になると思います。というのもあらかじめ答えがあって、それを問うということではなくて、答えがない問いに対して答えを導こうとすることだから、答えの数だけ正解があるということになります。答えのない問いに対して、文学は文字を、写真や絵画は像イメージを、これを駆使して自分、そして他者に向けて、コミュニケーションするのです。

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自分を生成させてきた過去ってもんが整理できるなら、どんなもんかと問うてみます。もし、あのとき、こんなことしてたら、こうなっていたんじゃないか、なんてことは言わない。あるのは、選んできた道筋だけなわけで、モノとして残っている痕跡を辿る、このことです。たまたま、ブックカバーをフェースブックで紹介するという遊びが、まわってきたのです。これも、結局は、その人独自の展開で、基本七冊を選んで表記していく、でした。ぼくは、これをいい機会だととらえて、まだ手元に残っている本を表記しました。

その時代の、その人が、影響を受けた書籍で、ぼくは二十歳前後に読んだのを選んだ。七冊にとどまるわけではなく、読んだ本を軸に、自分史を構成してみようと思ったのです。ただいま、制作中、第二弾をこのあとすすめていくのに、カバーを写真に撮りました。今の時代だから、スマホで写真を撮って、そこからフェースブックにアップできるんです。画像がいとも簡単に扱えるし、すでに始まっているけど今後は動画が主流になるのでしょう。すでにYouTubeがあるし、インスタグラムでも動画が載せられる、そういう現在です。

技術の進化拡大で、どんどんと表現する枠が変化していきます。その進化にあわせて、表現される内容も変わってきて、それぞれの現在が記録されます。作家はこのことを意識して作品創りをしないといけないし、時代を取り込まないといけない。技術面、テクニカルもそうですが、なにより「何をテーマとするか」、ここです。何をテーマにするか、という議論が、いつの時代にも、あまり活発ではない気がします。このことを主に語り合う、そういう場が必要なんだろうと、痛感しているところです。

スマホ インスタグラム 2020.5
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今年は日々過ぎるのが早い、そんな実感です、今日は5月16日ですから。
毎日、毎日、コロナの話題で世の中騒然となっています。
NHKが便乗してカミュのペストを読む放送を始めるのか、テキストが目につきました。
都市封鎖される小説で、以前に読んで、今回、思い出して書棚を探したけどなかった。
文庫本だったから、以前に詩集とかといっしょに処分したなかに、入っていたんだな。
でも万葉集とかドイツイデオロギーとか、残っているのには、自分でも驚いています。

毎日作家、これやっているんですが、自分では「新しいスタイルで」と思っています。
写真はスマホで撮っていて、それにタイトルだけのと文章をつけるのと、二つです。
タイトルだけはインスタグラムで表現論と名付けたシリーズ、今日で33回目となります。
街のなかの現代風景を縦位置で撮って、アレンジして、シリーズにしています。
自分で出来のいいのと出来のわるいのと、毎日一枚、それをまとめてブログに載せる。
昨年末から「風景論」のシリーズをやって、その続きで「表現論」シリーズです。

フェースブック、インスタグラム、ツイッターを一旦やめたけど、再開させています。
ツイッターでは、いま、アレンジした画像と文章を作って載せて作品としています。
この文章の作り方は、スマホで最初の一文字いれて、次々と候補の文字が出てきます。
二行出てくるんですが、この二行から選んで、つなげて、意味あるような文にする。
文がしっくりつながらないことがあって、それでも現代のツールを使って、作品創り。
多少は自分の意思が介入しますが、ほとんど器械まかせ、ロボットまかせです。

スマホ インスタグラム 2020.4
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スマホのなかで画像を加工して作品にする、この試みを先月からやりだしたところです。この画像なんか、反転させて、色変換させて、明暗をつけて、と改ざんしているところです。写真は写実だ、なんて思っていて、アブストラクトにするつもりは、これまでなかった。でも、別のところから、表現という枠をいろいろ試行している中で、この発想が出てきました。写真というより美術、静止画、ベースはカメラで撮った画像ですが、これは加工されています。表現ということの枠組みを言葉ではなくてイメージで示そうと試みているんです。

自分が思うイメージにならない、もっとウエットな、湿った、ぬるっとした質感、みたいな。そうですね、フィルムならリバーサルフィルムで処理したカラー写真みたいなイメージ。デジタルで画像をつくる限界なのかもしれないな、別のソフトを使えば、できるかも。そう思いながらも、そこまではやるつもりもなく、画像にとって美とはなにか、を定義する。なんだかちゃらいお遊びごとをしている感もあって、気恥ずかし思いのなかで、試行しています。インスタグラムで表現論シリーズをやっていて、理屈はともあれ、感動する絵にならないなぁ。

世の中のニーズということで言うと、ぼくは性に根ざした領域だとの感が多分にあります。ここに、雑記帳というタイトルで文章を書いているけれど、アクセス数は数件です。ライブドアさんのブログでも、アダルトサイトに入れるブログは、アクセス数、格段に多いんです。表と裏でいえば、本音のところはアダルトサイトで、表向きは料理とか花とか、つまり日本の世の中が良品と認めている暗黙の了解のなかが表向き。でも、実際にはネットのなかで、独りでいるときの興味の矛先は、セックスのこと、性愛のこと、そのことを求めていると思えるのです。

スマホ インスタグラム 2020.4
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