中川繁夫の記録

中川繁夫のブログです。

2020年07月

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インスタグラムに、毎日一枚、写真をアップして写真集にする、という計画。
今年に入って、二回目の写真集は「表現論」と名付けた建築物シリーズ108点でした。
けっこう、記憶の建築物が多かったのですが、遠くからの写真でした。
コロナ禍ではソーシャル・ディスタンスなんて言葉が市民権を得ました。
生きてきた記憶の場所で、記憶の風景を、少し距離をとって撮影です。

次のシリーズを構想しているのですが、いまのところ明確ではありません。
市中へ入って、接近して記憶のモノを撮ろうか、とも思ったりしていますが。
まあ、少し休憩期間を置いて、やりだすとけっこう大変だから、です。
毎日一枚、直近で撮った風景を、加工してアレンジして、絵にするという試み。
写真を撮る構図の法則をはずして、見れる絵にする、そんな意識で作っています。

写真集<表現論>8 スマホ インスタグラム 2020.7
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フォトクラブ京都の7月例会を開催しました。
メンバーに新しく三名の方が参加してくれました。
何かのご縁で、というのが口癖になっていますが、ご縁です。
写真を学びたいとおっしゃる方、写真を学んでこられた二人。
クラブとはいっても参加自由な個人意思による集まりです。
一昨年9月に立ち上げ一年半が過ぎたところで、少し先が見えてきた感です。

京都表現学校は開校しているんですが、学ぶ人がいませんでした。
おひとり、学びたいと希望される方がおられるので、カリキュラムを組みます。
基礎の基礎、基本に基本を、写真表現を軸にしてとらえていく気持ちです。
あらためて、あたらしいプログラムを作り、カリキュラムを作ります。
新しい表現の方法を求めて、数人で作り出していく予定をします。
なんだか希望がわいてきたところで、気分爽やかです。

写真集<表現論>7 スマホ インスタグラム 2020.6
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写真と映像の研究会を、コロナ禍があけたこの6月から開催することになりました。
会場は京都市内の真ん中、モスグリーンのスタジオの一角で、トーキングをします。
カメラを使う手法で、これからの写真と映像の在り方を、探っていこうとの意識です。
ハード環境、社会環境、内面環境、と作品制作の現場は、歴史的変化があります。
過去から、現状を見ていくことで、この先が読めてくる、見えてくる、と思えます。

ぼく自身は、1984年のフォトハウスを軸にして、一貫して表現現場を創ってきました。
京都においては、写真ワークショップ、京都写真学校、2020年からは京都表現学校です。
学びの場が、いつの時代にも必要で、行く先を見つけるための学びの場を創ろう、です。
過去のことを継承することは難しくないが、新しいことを創り出すのは難しい。
この難しいことを避けていてはいけなくて、未定形の未来に向けて議論する。

見えかけていてまだ見えない新しい領域へのチャレンジが必要だと思っています。
これまでにも呼びかけてきたけれど、現状に甘んじる人が多いのか、集まれていません。
京都表現学校では、表現することの基底を、想像的に理解することから始めます。
写真と映像の研究会は、表現ツールの、カメラを扱う分野に特化した研究会です。
あと何人か、メンバーを募集しているので、ぜひ、意志あ人は参加してみてください。

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現代、文学の内面発見からくる表現は、病みイメージのつぶやきなのかもしれない。
このことに気付きました。
近代文学、内面発見以後の具体的な言葉表現がわからなかったのです。
ため息のようなつぶやきが、情を動かすんだな。
これは現代文学表現の発見です。
 

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奈良明日香村にある飛鳥寺の飛鳥大仏は日本で最初の大仏だというふれこみです。
二度目の訪問にになるのですが、昨日、MONNJIさんといっしょに訪ねました。
歴史上、由緒ある場所、明日香で、曽我馬子が建立したとか。
曽我入鹿の首塚というのが近くにあって、歴史で習った名前が出てきます。
学校で習う日本史に登場してくるから、誰もが知っていることになるんですね。

飛鳥寺からあるいて伝飛鳥板蓋宮跡へ連れていってもらいました。
飛鳥宮の遺構があって、大化の改新の舞台だったとか、入鹿はここで首を斬られたとか。
橘寺へも行きましたが、ここは聖徳太子の生まれた処が、寺院になっている。
最近、学校では、聖徳太子ではなくて厩戸皇子とかの名称で習うようですね。
現地に立ってみて、なんとなく古のイメージを抱きながら、歩かせてもらいました。

記録として写真を撮ってストックしていきますが、自分への資料です。
ブログで公開していきますが、そのとき訪れた自分の記録を連ねています。
写真って何だろうなんて論議がありますけど、ここでは自分の記憶と呼び覚ます道具。
いくつかのベーシックな枠組みで、写真行為をしていて、公開しているところです。
写真の論、もうあきた感じで、むなしさの気持ちで、日々対処しているところです。

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