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身の回りの整理をしていて、手元にある書籍や雑誌を、人にあげたりゴミに出したりしているところです。ここに至るまでには心の葛藤というか、自分の記憶を捨ててしまうことにつながるので、なかなかできなかったことでした。でも、高齢者になってきて、いずれ処分をしなくては、という気になってきたのは、家族が処分を望んだからでした。もう何十年間か作品の額で隠されていた書架を整理していたら、カメラ毎日の最終号が保管されていました。アサヒカメラや日本カメラ、それにコマーシャルフォトなども一冊か数冊保管されていました。そのなかでもカメラ毎日は、その当時、いちばん身近に思っていたカメラ雑誌でした。ぼくは、反カメラ毎日を考えていた輩でありました。

カメラ毎日の編集長は西井一夫さん、ぼくと同い年です。もう20年ほどまえに癌で亡くなっているので、記憶の人です。特に親しい関係ではありませんでしたが、東川の写真フェスティバルで、宿泊の部屋が植田正治さんと西井一夫さんと一緒でした。植田さんは写真美術館の図面を持ってきておられて、それを見せていただけました。西井さんとは暗黙の了解とでもいうように、深い話はしませんでした。このときはすでに1990年代に入っていて、カメラ毎日の終刊は1985年4月号ですから、すでに10年近くが過ぎていたときでした

1985年というと、写真表現の過渡期で、カメラ毎日の編集はその信奉者の巣で、新しい時代の予兆を選集長の西井さんは察知されていて、終刊にするという判断を下したのだと思っています。東松照明さんの京都シリーズがカメラ毎日の紙面で連載されている最中でした。フォトハウスの構想を練っている時には、カメラ毎日が集めている写真愛好者たちの意識を、新しい潮流に変えていくシステムとしての器、フォトハウスでした。写真表現をアートの一環としてとらえたり、オリジナルプリントの概念を表に出したり、このことが必要な時期に、カメラ毎日は機能しなくなっていたと思うのです。西井さんもそのように思っていたと確信しているところです。