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源融(みなもとのとおる)のお墓が清凉寺の境内の片隅にあります。
この人は、紫式部が書いた源氏物語のモデルとされた嵯峨天皇の皇子です。
清凉寺は嵯峨釈迦堂と呼ばれている寺院です。
中学生のころから何度も行っていますが、墓を探しあてたのは最近のことです。
嵐山の渡月橋の前からまっすぐの突き当りが、この清凉寺です。

源氏物語が書かれるのは源融が生きたという時代から100年ほど後のことです。
ということは融の話、紫式部が生きたときにまでその人柄が伝えられていた。
女が好きな男、というより女遍歴する男を、女の紫式部が興味を持ったということか。
紫式部の墓の横に小野篁の墓があるけれど、篁は紫式部より150年ほど前の人です。
紫式部は970年から978年までの間に生まれ1019年までは存命していたとされています。

今年になって、大覚寺の大沢の池を散策に、料金を取るようになったので興醒めです。
この大覚寺は嵯峨天皇の住まいがあった界隈の一角で、平安京の市中からは4キロほどか。
天皇の別荘があって、市中から通ってきたということです。
北嵯峨のこの地域、興味深々ですが、なにより男と女の物語りにイメージを馳せます。
千本えんま堂には紫式部の供養塔があります、ぼくのご近所で気になるスポットです。