1979年12月に、中川繁夫の名前で初個展「釜ヶ崎」を開催することになるんですが、当時の中川の思いの中に、写真を発表する場所として、既存のギャラリーや美術館ではない場所、空間を思い描いていました。1979年8月に、釜ヶ崎の三角公園で夏祭りが開催されるのに合わせて、青空写真展を開催しました。聖家族での個展は、この流れの中にありました。そもそもの話で、なぜ、フリースペース聖家族だったのか、ということですが、これはある種の偶然、聖家族の運営者石山昭さんと写真展「釜ヶ崎」の話をしていて、この写真展は1979年12月に開催したのです。

 この写真展は、ポスターを作ってもらって、市中の各所に貼ってもらって、それを見たという写真愛好者が何人かきてくれました、その人たちの話題の中で、自主ギャラリーの話がでて、ギャラリーを持ちたい、作りたい、という話題になって、それは当時の若い写真愛好者たちの願望みたいに、なっていたのです。別のところで、この自主ギャラリーを作りたいというストーリーを書きたいと思いますが、ここではフリースペースの話題になって、中川がここ(飲み屋パブ聖家族)でそういうスペースができないか、と話したら、石山さんが軽く承諾してくれて、1980年2月にはフリースペース「聖家族」開設の案内を作成し、配布したというところです。

 若いとはいっても中川と同世代ですが、写真愛好者の面々が個々に、自主ギャラリーを作りたいとの話題を持っていたのです。若い写真愛好者は、それぞれにグループを作っていて、各大学の写真部的な集まりを指導するという人たちでした。中川は当時、カメラクラブに所属していて、それなりに活躍しているなかにいましたが、若い写真グループには、ある種の共感と期待を抱いた記憶がよみがえります。でも、いま思うと、ヒエラルキー的に組織化されていないグループで、写真雑誌でいえば「カメラ毎日」の愛読者的な感覚の人たち。東京発の情報になびいている若者という感じだったのす。

 東京では、1976年に、自主ギャラリー「プリズム」がオープンし、「CAMP」がオープンし、「PUT」がオープンします。これらの自主ギャラリーが生み出される基は、前年1975年に発足する「東京ワークショップ」です。このWSのゼミ生らが自主ギャラリーを創出するのでした。中川も、この一連のニュースは、カメラ雑誌を通じて名称だけ程度でしたが、知っておりました。自主ギャラリーが欲しいという関西の、京都の、大阪の、若い写真愛好者たちは、この東京情報に基づき、熟成していたと考えています。こういう渦のなかで、フリースペース「聖家族」の構想が生まれてきたと、記憶をふり返りながら、思えます。

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