PICT0468
 季刊釜ヶ崎を編集発行し、映像情報を編集発行しながら、社会と写真表現の方法を模索していた中川が遭遇したのが東松照明さんでした。1981年末から京都取材に入られた東松照明さんでしたが、京都に住まれることはなく、東京から通いで京都へ来られていました。京都へ来られるたびに電話があり、会わせていただきます。いろいろと写真についての話を交わしていただきました。写真そのものについて、写真の社会的なありようとか、写真家集団のありかたとか、表現することのとらえ方とか、話題はいろいろでした。東京の動向、カメラ毎日の西井一夫さんの話題、西井はこう言っているが、中川さんはどう思う、ということをよく訊かれた記憶があります。中川のほうからは、ワークショップ写真学校の話、沖縄の宮古大学の話を、聞いていました。京都で、何ができるか、話題は、京都で大きな枠組みで写真を考える装置が必要だろう、ということに及んでいきました。京都は日本文化の源泉だし、伝統芸術が林立するなかで、写真を考える、というフレームワークです。何度か話題をいただき、全体構想をイメージしながら、映像情報の中身を作っていきました。フォトハウスという名称は、そのなかで出てきた名称で、バウハウスをもじったフォトハウス、というイメージでした。
(続く)