写真をめぐる話

現代表現研究所の研究項目を一覧にしていきます。

カテゴリ: 中川繁夫の写真論集

中川繁夫が書き表した写真についての覚書です。
京都写真学校のテキストとして執筆した文章と写真です。
執筆は2004年3月からはじめられました。

☆基礎編

★001 
写真表現の世界へようこそ

★002 未来写真のキーワード

★003 写真はこころとこころのコミュニケーション

★004 写真を学ぶ基本軸

★005 写真のネットワーク

★006 写真の仕事現場

★007 写真はおもしろい

★008 写真を越えて、新たなアート分野へ

★009 写真学の新しい理論つくり

★010 写真を教えてあげる・写真をあげる

★011 知の海・技の森/その間のあなたの心身

★012 ワークショップの世界

★013 アナログ写真とデジタル写真

★014 デジタル写真は写真の未来形

★015 フィルム写真は残れるか?

★016 写真テーマの現在

★017 なぜ写真を撮るの、写真を撮る目的

★018 写真をだれに見せるの?

★019 写真を私に見せる?

★020 写真で気持を伝える

☆技術編

★021 
技術編 ピントを合わせる

★022 技術編 露出値を決定する

★023 技術編 露出について

★024 技術編 絞り、シャッタースピード、フィルム&デジタル

★025 技術編 レンズの特長を生かす・広角と望遠

★026 技術編 写真撮影技術の基本

★027 技術編 構図のはなし

★028 技術編 風景/街の中を撮る

★029 技術編 ゾーンシステムの考え方

★030 技術編 露出を考える

★031 技術編 写真基礎講座 全13講

★032 技術編 HB-N2 標準フィルム現像液

★033 技術編 写真雑学講座(1)-1-

★034 技術編 写真雑学講座(1)-2-

★035 技術編 写真雑学講座(1)-3-

★036 技術編 写真雑学講座(1)-4-

★037 技術原理編 写真の現在

★038 技術原理編 写真の現在テーマ

★039 技術原理編 写真の原理-光を捉える

★040 技術原理編 写真の原理-遠近法-


☆写真史・写真論

★041 
写真の歴史-01- 概論

★042 写真の歴史-02- 写真発明の頃

★043 写真の歴史-03- 写真史(1)写真の発明

★044 写真の歴史-04- 20世紀初頭のアメリカ

★045 写真の歴史-05- 写真史(2)肖像写真

★046 写真の歴史-06- 写真史(3)アート写真の系譜

★047 写真の歴史-07- 写真史(4)旅行写真の系譜

★048 写真の歴史-08- 写真通史 発明から1930年代(1)

★049 写真の歴史-09- 写真通史 発明から1930年代(2)

★050 写真の歴史-10- 写真通史 発明から1930年代(3)

★051 写真の歴史-11- 1960年代アメリカ

★052 写真の歴史-12- 日本の写真史1960年代

★053 写真の歴史-13- 日本写真の1970年代

★054 写真の歴史-14- 日本の写真史1950~1970年代

★055 写真の歴史-15- 日本写真の1950年代以降

★056 写真論-01- ドキュメント写真の系譜

★057 写真論-02- 「PROVOKE」とその時代

★058 写真論-03- 作家研究「東松照明」の50年史

★059 写真論-04- 写真雑学講座(1) 1~17

★060 写真論-05- アートとはなにかということ

☆写真の周辺理論編

★061 
写真とこころ

★062 現代写真表現論テキスト

★063 デジタルカメラ、デジタル写真の話

★064 デジタル時代のフィルム写真

★065 写真の限界

★066 写真の範囲 つまりお金ではない

★067 写真のテーマが向かうもの

★068 写真の定義 写真の理論 写真の中味

★069 写真は芸術?

★070 写真を展示する場所

★071 写真と映像

★072 写真と絵画

★073 写真と文章

★074 写真と社会

★075 写真と文化-そして芸術ということ-

★076 写真と宇宙

★077 写真表現とは?

★078 
写真の現在的視点-01~03-

★079 写真の現在的視点-デジタル写真の時代-1~4-

★080 写真の現在的視点-フィルム写真の現在-1~3-

写真の理論編 追録

★081
写真評論 写真への覚書-1-

★082 写真評論 写真への覚書-2-

★083 写真評論 写真への覚書-自己表現論-

★084 写真評論 写真への覚書-写真表現論-

★085 写真評論 写真への覚書-私風景論-

★086 写真評論 写真への覚書-写真の被写体論-

★087 写真評論 写真への覚書-風俗写真論-

★088 写真評論 写真への覚書-写真試論-

★089 2013年度ゼミ☆写真を学ぶカリキュラム☆

★090 現代写真表現論 2009

★091 現代写真資料-1- 日本の作家1950年代以降(1)

★092 現代写真資料-2- 日本の作家1980年代以降(1)

★093 写真評論集-1- 2006.9.17

★094 写真評論集-2- 2006.9.17

★095 写真評論集-3- 2006.9.17

★096 写真評論集-4- 2006.9.17

★097 写真評論集-5- 2006.9.17

★098 写真評論集-6- 2006.9017

★099 写真評論集-7- 2006.9.17

★100 写真評論集-8- 2006.9.17

★101 技術編 サイアノプリントの制作

★102 写真評論 現代メディア表現論 2010

★103 写真論-写真についての覚書-(1)

★104 写真論-写真についての覚書-(2)

★105 森山大道、荒木経惟、中平卓馬から学ぶ、写真表現

★106 自費出版物から学ぶ写真表現



京都写真学校カリキュラム
執筆:中川繁夫
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2005.4.10

写真表現の世界へようこそ!
☆これから写真表現を学ばれるあなたへ 写真表現とは、自分の<こころ>を、外に出すことです。

(001)はじめに

こんにちは、ここは写真表現の方法を学ばれるあなたへの、テキストです。
写真で自分を表現していくには、いくつもの方法があります。
ここでは、あなたの写真表現のための手助けとなれるよう、
心がけたいと思っています。

言葉よりも実践が大事だと思いますから、
カメラを持って写真を撮る、これが第一です。
そうして自分が撮った写真について、
あれこれ思いだしたら、ここを開けばよろしい。

まづは実行ありき、ぼくはこのように思っています。
 2008.1.25

(1)写真表現の基本コンセプト

写真をとらえていくということは、自分の生き方をとらえていくということにつながると思います。
そして自分という個人を超えていく手段として、
把握されていかなければならないのではないかと思います。

初期の写真技術のひとつが1839年に公表されてされてから170年余りが経ちました。
現在、これまであった写真をめぐる技術と思想の範囲では、
これから来たりくる「写真」という枠組みが捉えられない状況にあるのではないかと思っています。

これからぼくは、写真表現をめぐるさまざまなことを、
写真学講義と名づけて記述していきますが、
これからの写真ってどんなのになっていくのだろうか、
というのが主要なテーマとしてあります。

また、写真表現というものは「ひと」が個的にかかわりながら制作していくものですから、
その創造のプロセスを明確にしていければなー、とも思っています。
これはひとの内側の深~いところに疼いている欲望のありかを、
意識の上に浮上させる試みでもあると思います。

カメラと写真をとりまく様々な技術のことや、
社会とのかかわりを求める表現の歴史的な観察や、
人間の社会や文化を構成する手段としての写真の姿、
というようなことを念頭において、
これからの生き方の方向とその方法を探っていければいいな、と思っています。

人間共同体の関心ごとが年月の経過とともに変容してきて、
現在その関心ごとの広がりは「見えるものと見えないもの」のなかで、
見える宇宙見えない宇宙、
見える地球環境見えない地球環境、
見える社会現象見えない社会現象、
見える自分見えない自分・・・・・。
さまざまな見えるものと見えないものの狭間でぼくたちは生存しているのです。

写真はいつも見えるものを捉えることで
見えないものを見せようとしてきたように思います。
写真という手段は目に見えるものしか捉えられない、という宿命を知りながら、
この見えないものにアプローチすることはそれぞれの時の現代的なテーマでもありました。

これは現在もやはり主要テーマであり続けるようです。
そこで、大切なことはぼくたちが写真というメディアを使って何をするのかということです。
現在時点で科学技術が明確にしている事柄を取り入れながら、
その背景を創り成す思想というイメージ世界をふまえて、
それぞれの生き方、生存のあり方、
そして「ひと」と「ひと」との関係のあり方を模索していくこと、とでも言うことでしょうか。

これからの写真を使っての表現方法の基底には、
生命というものの根源を考えイメージしていく姿勢と、
視点をもって、こころ(精神とか内面といわれるもの)の安定、欲望の実現をめざすことがあります。

これは、「こころ」の深い処で、
現実表層を造っている世界というものを深い構造として捉え、
情動のレベルで新たなる安定や喜びを見いだしていくことではないかと思います。

写真を表現手段として手に入れるということは、
自分のいる場所を探しに出かけていくこと、
そしてその場所を確認していく作業でもあるのではないでしょうか。

これらのことを言葉でいうのは、ある程度簡単なんです。
それを具体的な作品にしていくことがじつは大変なことなんです。
でも、その大変だ!ということも十分に知ったうえで、やっていくしかないですからね。
まあね。わかる、感じる、ところからはじめていきましょう。


京都写真学校カリキュラム
執筆:中川繁夫
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(002)未来写真のキーワード

はじめに

今年は2011年です。
フランスで写真が発明されたのが1839年ですから、写真発明から170年余りが経ったところです。
さて、ここでいう「未来写真」とは、現在から未来に向ける写真の、内容、テーマ、そういったことを考えて制作する写真。
その枠組みだと思っています。

今の時代は、デジタルカメラの時代ですし、パソコン、携帯電話を通じて発信されます。
発表の形態では、ホームページやブログなど、自分で情報を発信できる時代になっています。
なにより驚異的なことは、携帯電話にはデジタルカメラが付いていることです。
いまや、誰もが常時カメラを所持している時代だという認識です。

京都写真学校では、制作した写真を、提示するのに、現在(2011年)、紙にプリントアウトした写真でも、モニターに映し出した写真でも、どちらでもよいこととしています。
経済効率とか、利便性だけではなくて、表現の方法、提示の方法、そのことによる見せ方、インパクト、などなど、新しい時代を迎えていると認識するので、提示の方法、展示の方法も、工夫を凝らしているところです。

今や時代は、デジタルです。
テレビ放送もデジタル化され、携帯電話、デジタルカメラ、それなりに動画まで撮れます。
通信回線の大容量高速化、このインフラで、静止画像としての写真から動画へ、移っていきます。
そういった環境の変化に対応する写真制作の方法を、編み出さなければ意味がないんです。

こうして、環境を整えながら、何が未来写真なのか、という問題は、これから始まるところです。


(1)未来写真のキーワード―生命、自然、欲望―

現在とこれからの写真の主要なテーマは
<生命、自然、欲望>をめぐる3項目に要約されてくるのではないかと思います。

<生命>とは、こころを科学の領域としてとらえていくことの方向です。
これまでこころの領域というのはおおむね非科学的領域としてきました。
フロイト以後の心理学分野では
臨床成果を積み重ねることで科学的立場を持つようになってきました。
これからは、幻想領域つまり妄想・幻覚・幻視など
科学的に扱いにくいといわれてきたことをも含めていくことです。

これは科学的手法でもって非科学領域とされていた分野を解明していくという作業です。
個体を超えていく意識、というイメージがあります。
人間って合理性や道徳性に囚われることで自己というものを防衛していますが、
合理的・道徳的でないとされてきた領域を取り込んでいくことです。

写真表現の領域というものが、
いつもその外部にある社会科学や自然科学
そして非科学的風評のなかで創られていくことを
取り込んでいくことで拡大してきたのだとすれば、
この先におこってくるテーマは、
いまの世の中の関心ごととその先にあるものを見えるイメージとして
創生していくことになります。 
 
<自然>とは、やはり現在の世の中の関心ごとです。
人間だけじゃなくて有機生命体として個体そのものがあるところ、
宇宙や地球という環境のなかでどのように整合性をもって生命が維持されていくのか、
という基本命題にたいして、どのように対処していくのがよいのかなと思うことです。
ぼくたち人間は文化という概念を生成させてきました。
その枠内で様々に考え行動する規範というものを作りあげてきました。

写真家という人は、写真という装置と手段をもってこの作りあげてきた内容を吟味し
未来を予測していく作業をします。
これはいつも自己矛盾を含みながらの作業となるように思います。
<自然>の方向へとは、ぼくたちの日常にある<文化>という枠を外していくこと、
可能であれば原初生命体のレベルで感じていくことです。

<欲望>とは、情動つまり快感・不快感という感情レベルが
生成されてくる処についてのイメージです。
ぼくたち人間も含まれる有機生命体には
生命維持階層のシステムとして内分泌系、免疫系、神経系の
三系の構造に区分されていますが、
どうも欲望という情動はその基底の内分泌系に由来するようです。

その欲望というものをどのように開放してあげることができるのか
、というのがこれからの写真のテーマです。
写真がこころの深~いその場所に触れてしまうときっていうのが、
深い感動を共有できる場面なのではないかなと思います。

これからの写真表現を考えていくにあたって、
ぼくはこの3つのキーワードを手がかりにしながら、
あらためて「写真」がこれまで表現しようとしてきた社会の表層構造
(政治・経済、芸術、宗教の総合)に
アプローチしていくことが必要ではないかと思っています。


京都写真学校カリキュラム
執筆:中川繁夫
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(003)写真はこころとこころのコミュニケーション

写真を撮る、表現する、ということは、こころとこころのコミュニケーションです。

ぼくはいまの時代、こころの失われた時代だと思っています。
一人ひとりには豊かなこころがあって、それを大切に抱えているのだけれど、
それよりも他人との関係やお金を稼がなければならなかったりで、
自分の気持ちに負担ばかりかけさせられてしまって、ひとりで悩んでしまう。
このような現状じゃないかなと思っています。

そうだとしたら自分のこころを、気持ちを、家族や友だちや、
大きくいえば社会に知ってもらいたい、共有したい、
こころの底から理解してもらいたい・・・・・・。
そう、いつもこころの深いところで、ひとりぼっち感覚をなくして、
日々楽しく満足感あふれる気持ちでありたい。

写真を撮っていくことって、
そんな気持ちをもって生きていくためのひとつの方法だと思います。

こころを共有するというのは、そんなに単純なものではなくて、
いろいろなプロセスを踏んでいかなければいけないけれど、
基本的には、写真を撮るということは、
そのことにつながっていくのだということを真っ先に知ってほしい。

写真を撮るということは、写真を仕事にしていくとしても、そうでないとしても、
自分が生きていくということに密着していることです。
ひとに自分のことを知ってもらい、自分を楽しくさせるもの、
それが写真を撮ることの基本だと思います。

このことを実現させるために、そのなかで自分が生きていくために、
写真を撮る技術のことや、
考え方や思い方、
過ぎ去った日々のことを知って、
自分のいまいる場所を確認していくことが必要なのです

写真を使ってぼくとあなたが双方向でやり取りします。
これは直接にぼくがあなたのこころと対話するものです。
新しい時代の写真は、こころとこころが交流できるコミュニケーションの形です。
言ってみれば境界線のないコミュニケーションの方法です。こころとこころの共有です。

写真はあなたのこころを豊かなものにするものです。

京都写真学校カリキュラム
執筆:中川繁夫
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004)写真を学ぶ基本軸

あなたがこの学校で写真を学ぶ意味はなんだろう

京都写真学校で学ぶことの3つの輪は

  (1)技術を学ぶ
  (2)理論を学ぶ
  (3)実践を学ぶ

この3つの領域がリンクしていくことで
あなたのスタイルに反映するものとして全体につながっていきます。

写真を学び始められるあなたの目的は、
もちろん写真の専門家(プロカメラマン)になることや、
高度な表現者(作家)になること、
または充実した生活者(写真愛好者)になることの
どれかをめざすことになりますね。
その前段として、写真学校では、その形を支える基本軸、
あなた固有の生き方を紡ぎだすことを第一の目的とします。

写真を撮るということだけでは、生きることの部分でしかないわけです。
全体(生きることの全体、生活することの全体、社会生活することの全体)と、
分節された特定の部分(働くとこと、家族と生活するとこと、
欲求を満たすことの各部分)の中で
写真をつなげてみて、そこから全体を浮かびあがらせること。
そうして未来に向けて泳いでいく、泳ぎ方を想起させることだと考えます。

写真を学ぶことは、そして学校が生徒にできることって何なんだろな?
いろいろと考えられますが次の4点に要約しました。

 ◎表現するための技術を身につける

 ◎表現の過程を双方向でおこなうことで、
外面的な様式を身につけ、内面的なものとの対話をおこなう。 
そこから外形的な発表という形式を完成させていく

 ◎内面的なもの(感情)をまとめていくためには、様々な知識が必要です。
知識のマトリクス(枠)を自分流に自分のものにしていく。

 ◎それらの統合のもとに、生徒個別の写真群を生み出させていくこと。
ポイントは生徒の感性とその感性を生み出している社会環境の環境としての
身体の位置のマッチングからと思います。

 ◎このマッチングを可能にするためには、
現在時点での哲学的潮流や科学的潮流などの捉え方を、
脳の構造の中につくることと、
身体と情動を一体のものとしていき方の方法を選択していくこと。


あなたの生涯時間のなかで、これまでが漠然とした生き方だったとしたら、
現在は写真を学ぶことで明確化の糸口をつかむこと、
そして未来に充実した生き方を得る。

写真の専門家になるにせよ写真作家になるにせよ
写真愛好者になるにせよです。

京都写真学校カリキュラム
執筆:中川繁夫
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(005)写真のネットワーク

いま、ここで考えようとしている「写真のネットワーク」とは、
新しい時代の人間の生き方を探っていくための、
開かれたネットワークのことです。

現在、地球上のあらゆる場所で、学問上のあらゆる分野で、
生産と消費生活のあらゆる領域で、
これまであった社会システムや考え方では解決できないことが
あらわになってきているように思います。

このことは、世界の構造(国家と国家の関係のありよう)や
世界経済システムの変化により、
個々の人間のあり方も
急激に変化していかなければならないように思えています。

この変化はグローバル化する世界構造において、
いろいろと問題点がクローズアップされています。

ぼくたちの周辺を見てみても、
精神世界や宗教関連の出版物があふれ出していることや、
自然と親しむ方向(ルーラル化)への情報が
テレビ番組や雑誌などの特集が多くみられるようになったことがあります。

これは近代以前に人間社会が培ってきた
文化環境を取り戻す試みとして、
その現在的な問題を解決していくことを
暗示しているように見受けられます。
ぼくたちはこの情勢の変化を的確にとらえて、
新たな人間関係のネットワークをつくっていく必要が
あるのではないかと思っています。

各生産分野(特にここでは写真生産分野を中心として)
の専門領域においても、
このままでは人間不在ともいえる新しい商品開発の研究のみが
先行していくようにも感じています。

写真の分野では、モノクロ写真からカラー写真へ、
そして現在はデジタル写真へと移行しています。
そして、いつもその周りには消費者としてのぼくたちが存在しています。

あるシステムが商品化されることで完成したものとみなすとすれば、
フイルムをベースにしたカメラと写真処理はすでに完成品であって、
ぼくたちは消費者の域をでることができなくなってしまったのです。

デジタルカメラはすでに商品化されて機材としては完成しました。
今後は部分的改良が加えられてそのつど需要を喚起してきます。
でもそのソフトウエアである写真表現の形はまだ始まったばかりです。
現在はフイルム写真からの置き換え過程です。
20年ほど前にレコード板からCDへ移行したようにです。

ぼくたちはいま、
世界が統一(グローバル化)されていく力の構図に対して
どのようにして一人ひとりの人間としての
希望の実現を試みていくのかということが求められているのです。
こうした視点から見てみると、
いろいろと現れてくる新しい仕組みに対して
それぞれが意識的に対処していくことが求められていると思います。

これらのことを具体的に実現していくためには、
いまある商品としての価値観から意味を組み替えるべく
新しい考え方の体系を模索しながら、
新しい世界観をつくっていける個人と個人のネットワークが
必要だと思っています。

これから先、ぼくたちが具体的にやらなければならないことは、
写真を撮り、写真を創るということを中心としながらも、
現代のいろいろな問題を考えながら、
写真表現の形にしていくことだと思います。

自由に発想し新しい時代を創っていくためには、
具体的な方法を取得する場を創り出すことが必要で、
写真ワークショップのネットワークは
そのような場になればいいなと考えるところです。

価値や意味をとらえる思想の領域から、
生産と流通と消費の領域までを含む、
ぼくたち自身の一体化した新しいシステムを創り出していくことが
必要になっていると思います。

この写真ワークショップも、
すでにある価値観や意味するもののなかにありますが、
また、デジタルネットワークという商業システムを
使っていくことになるのですが、
紙一重のところでそこからの脱却を図って
それぞれが独自のメディア展開を
していけるようにしていきたいと思っています。

写真のネットワークとは、
ぼくたちが新しいメディアに使われるのではなくて、
これをぼくたちのために使いこなしていくことに尽きると思います。
具体的なネットワークの創り方は別項にて提案していきます。
大きくいえば、デジタル環境を使っての
ネットワークシステム作りということです。


京都写真学校カリキュラム
執筆:中川繁夫
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(006)写真の仕事現場

プロカメラマンの仕事現場と写真業界の話しをします。

写真を撮ることでお金をもらう。
こんな世界があることは、みなさん知っていることと思いますけど、
では、どうしたらそんな風になれるのかな、と思っていませんか。

写真を撮ることでお金になる、
つまり働くということが現状ではあまりないことを知ったうえで、
プロ写真の現場ってどんなところがあるのだろうか。

あなたが日々過ごしている中で、様々な写真があることに気づくと思います。
本屋さんへいけば雑誌には写真がいっぱい詰まっている。
雑誌にもいろいろあってファッション、モーター、トラベル、クッキング・・・。

新聞を見れば要所要所に写真があるでしょ。
取材写真といって雑誌に必要な記事の写真を撮ること、
広告のポスターの写真を撮ること、
こんな現場で写真を撮ることを想像するかも知れないけれど、
それだけではないんです。

結婚式の記念写真、
七五三や成人の記念に撮ってもらったこともあると思うけれど、
そんな仕事もありますね。

写真っていうのは静止画像ですので
主に紙媒体(雑誌や新聞)の仕事になりますが、
フリーで仕事として写真撮影を請け負う方法や、
フォトスタジオを開設して広告
つまりコマーシャルの仕事を請け負う方法などがあります。

そこでカメラマンとしてやっていくのに必要なことはなにかというと、
高度な技術力と専門分野の知識が必要になりますね。
それと一般常識とマネージメント。

仕事先の分野で言えば
出版系、スタジオ系、ジャーナリズム系と区分けしましょうか。
出版系では雑誌の写真撮影ですね。
先にもちょっとふれてますが、
料理、ファッション、旅行、モーター、スポーツ、自然風景、等々ですね。

あなたがどの分野の専門家であるのかです。
といっても何でも適当にこなす程度のことでも、
やっていけないことはないかも知れないですが、
それでも専門知識は必要ですよね。

スタジオ系では主にコマーシャル、カタログ掲載写真(ブツドリっていってます)、
記念写真(フォトスタジオって看板あがってる)の仕事があって、
技術力がつけばそれなりの仕事になります。

ジャーナリズム系といったら報道カメラマン、
フリーで新聞社なんかとの契約で現地取材したり、
特派員として現地取材したりします。

このように写真の仕事現場はいろいろあることが判りますが、
どのようにしたらそんな職業に就けるのだろうかということが知りたいですよね。
職業とする基本には、写真が好きでそれなりの知識も備わっていて
なおかつやる気が必要です。

そのうえで、具体的なアプローチが必要ですから、
自分の目的意識を明確にしていくことが必要なんです。

京都写真学校カリキュラム
執筆:中川繁夫
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007)写真はおもしろい

いま写真がおもしろい!!
デジタルカメラで気の向くままに撮って見てまた撮って見て、
そこに友だちや大切な人がいれば
もっとおもしろい気持ちになるよね。

写真ってコミュニケーションのツールなんです。
でも、どうしたら上手になるのかわからないと悩み始めたひとへ贈ります。

写真はあなたの心です。心を表現するには表現する技術が必要です。

ところで「心」とはいったいなに?どんなものなのでしょうか。
いま、写真の心をめぐって、熱い議論が交わされつつあります。

京都写真学校では、
時代の本質を見つめ体感するための、カリキュラムを中心にした、
感じられる写真の創り方を勉強します。

写真がなぜ面白く感じられるのかというのは、
直接人間の、つまりあなたの心の奥深くに眠っている神秘さとか
感動を起こす感覚とかが目覚めてくるからだといいます。

写真というのは撮影技術をマスターしたからってわかるものではないです。
ますますわからなくなってくるように思うのが、
誰もが体験することではないですか?

なぜ、そうなるのかといえば、
写真を撮ることで何かを表現することなんですが、
それが自分の生きてるってことに直結していて、
生きているっていう快感なんです。
でもその意味を見きわめることって、
実はなかなか大変なことです。

これまで偉大な芸術家って呼ばれている人たちが
創造力をかきたてられた源泉は、
苦悩の奥深くにある快感を求めてきたのです。
それがひとを感動させるのではないでしょうか。

写真を始めたあなたは、ね。
つまり、すでにその入り口に立っているってことなんです。
祈るということではなくて、
あなた自らがいのちの恵みを受けに前へ進み出る、
というのが写真の行為そのものなのです。

写真が面白いと感じられるのは、
前へ進み出ることにつながっているからです。

でも、やればやるほど何を撮ったらいいのか、
どうしたらいいのかわからなくなるのも事実なのです。
ですから、その解決の糸口をほかのところから導いてこなければいけない。
自分に対して他者の存在があって、そこに境界があって、
この境界を越えていくコミュニケーションの方向、
自分の心を開いていくということなのですね。
そのための学習をすることが必要なのです。

写真を撮って人に見せたい、見てもらいたい、っていう欲求は、
このコミュニケーションを求めていることなのです。
ですから、あなたが撮った写真を支えているルールというか意味というか、
そういうものを自分で考えていかないと相手は感じてくれない。

写真を勉強するってことは、
そういう感じをあふれさせるということなのですが、
どうもこれまでの写真学校では技術的なことは教えてもらえるけれども、
喜ぶ快感はあまり教えてくれなかった。
むしろ写真を創っていくことは苦しいことなんだ、と教えてきたのです。

時代環境が変わってきて、
新しい生き方っていうのは
、この快感を快感として認めてあげることで、
これを求めていくことです。

新しい写真の勉強というのは、
そんな新しい時代の向こうにいくための心・気持ちをつむぎだしていくことです。
そういう新しいタイプの写真家を育てたいと思っているんです。


京都写真学校カリキュラム
執筆:中川繁夫
nakagaw shigeo 2004.6.7~2008.1.25
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(008)写真を越えて新たなアート分野へ

写真は記録であるという考え方で、
これまでの写真が撮られてきた歴史があります。
ドキュメンタリーという考え方です。

戦争の現場や公害発生の現場で、また都市の中で、農村の中で、
さまざまな場所でたくさんの写真が撮られてきました。

その一方で写真はいつも美術と密着しながら、
美術(特に絵画)とは別の考え方で、
レンズの特性を生かしたり細密描写をしたりしてきました。

それらはいつもカメラという道具を使って、
現実を切りとる方法として定着してきました。

ところで20世紀の後半になると、
美術家と呼ばれるひとたちが、
作品つくりの道具としてカメラを使い始めました。
写真装置を、それまであった枠を越えて使い出したのでした。

これには一枚の紙の上に写しこまれる写真としての、
形式は変わらないけれども、
その考え方が美術の潮流の中にあるというもの、
また写真そのものを加工して作品としたもの、
紙の上ではなく立体面に写真技法を使ったもの、
などいろいろと工夫がなされてきました。

そして今や、写真という概念は非常に変形してきたように思います。
現代美術という分野が、かってあった美術セオリーを覆してきたように、
写真においても、かってあった写真セオリーを覆してきて、
今やもうセオリーが崩壊してしまった観があります。

これはなにも美術や写真の中にだけ起こっている現象ではなく、
人間をとらえる視点、これまであった哲学的視点、
近代科学の枠組み、国際政治世界の枠組みの変更など、
かってなかった程に変化しています。

写真は、これまでの写真の枠組みを越えて、
新たなアート分野に入ってきています。

新たなアート分野とは
、高尚だとか低俗だとかの判断基準ではないところで創造されるもの。
新たな、しかしかってあった類似形の、人間関係を結ぶ手段としての道具。
こういう場所に来たんだと思います。

特にいま、生命という言葉をキーワードとして、
ここに近代の合理主義や機能主義の考え方が封印してきた、
人間や動物や植物たちの精をよみがえらせるための方法が
模索されていますが、
写真にあってもその例外ではないと思います。
写真は生命活動であり、生命活動はアートすることであると思います。

-ポイント-

◎現在は「生命」というキーワードのなかで、こころ・自然・欲望がテーマです。

◎写真は生命活動であり生命活動はアートすることです。

◎食べることが身体維持の基本的営みとすると、
アートすることが精神維持の基本的営みです。

この食べることとアートすること、
二つの基本的営みが一体のものとしてとらえていく視点が、
これからは求められていくのだと思っています。

京都写真学校カリキュラム
執筆:中川繁夫
nakagawa shigeo 2004.6.7~2008.1.25
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(009)写真学の新しい理論つくり

写真のはなし-01-
このサイトの名称が「あい写真学校・・」って言ってるのに
写真の話がちっともなかったんで、
きょうは「写真のはなし」ってタイトルをつけてみました。

ここで「あい写真学校」ってあるのは、
何か自分の内側にあるものを、写真で表現していきたいと思っているひとが、
通信で通学で学べる学校を想定しているんです。

写真を撮ってるひとって多いですね。
もう生活必需品なんですね。
でも、写真を撮っていて技術的に上達していくのはいいんですが、
なかにはもうちょっと上手になりたい、
写真ってなんなんだろうな~なんて疑問を抱きだしたりして、
そういえば写真学校ってのがあるな~
いっちょそこで勉強すっか!なんて思いだしてくるんですね。

そういうひとのために創ったのがこの学校
通信でやるのでどこにいても学べる
写真って義務教育の中で習わないから訳がわからない
雑誌や広告の大部分は写真で埋め尽くされてるのに
その解釈ができない・・・
そんな現状をみて写真学校へ習いにいっても
撮り方の技術ばっかりです。

そうではなくて自分が生きている実感としての表現をしてみたい!
そこには、なぜ写真を撮るのか、という自分のことをとらえる視点も必要なんです。
そういうことに気づいたひとが学べる学校、
そんな学校が私自身がほしかったんです。
だから、学校をつくりだしたんです(笑)
まあ、ためしに一回のぞいてみてください。
見たり読んだりはタダですからね!!(笑)


では、またお会いしましょう。

写真のはなし-02-
どうしてそんなに写真にこだわるの?
写真って光が描き出す絵ですね。
自然の鉛筆って写真発明者タルボットはいいましたけど

この光の描き出す絵ということにこだわってるんです。

文化研究という枠で世の中のことを見ようとしてるのですが、
いまの文化状況って映像イメージ氾濫時代じゃないですか。
写真っていうのは静止画だし音も台詞もはいらないものです。
イメージの原点だと思うんです。


それと文化の生成プロセスということにも興味があるんです。
いまだったらアテネオリンピックの話題ですね。
TVの画像と音声は写真からの発展形だと思うんですが
スペクタクル化するイベントを映像で作りあげていく
その背後には商業資本が商品化していくプロセスがみれるでしょ
こういうことは社会の流れだから賛成とか反対とかいう筋合いではないですが
人間の本来的姿(充実感と幸福感)をみることができるかどうかなんです。


世の中がグローバル化し個人が均一化していくのがこの先に見れるとしたら
未来が人間をロボット化していく過程にあるとしたら
いまいちど原点回帰が必要ではないのかな~と思うんです。


写真って撮って楽しんだらいいものなんですが
そして射幸心を刺激してくれるんだから娯楽として楽しんだらいいんですが
それだけじゃあないやろ~~っていう思いもあるんです。


写真学校「写真ワークショップ京都」の企画を立ててるなかでの思いです。

写真のはなし-03-
写真をとらえていくということは、
自分の生き方をとらえていくということにつながると思います。
そして自分という個人を超えていく手段として、
把握されていかなければならないのではないかと思います。


初期の写真技術のひとつが1839年に公表されてされてから、
160年余りが経ちました。
現在、これまであった写真をめぐる技術と思想の範囲では、
これから来たりくる「写真」という枠組みが、
捉えられない状況にあるのではないかと思っています。


私にはこれからの写真ってどんなのになっていくのだろうか、
というのが主要なテーマとしてあります。


また、写真表現というものは、
「ひと」が個的にかかわりながら制作していくものですから、
その創造のプロセスを明確にしていければな、とも思っています。

これはひとの内側の深~いところに疼いている欲望のありかを、
意識の上に浮上させる試みでもあると思います。


カメラと写真をとりまく様々な技術のことや、
社会とのかかわりを求める表現の歴史的な観察や、
人間の社会や文化を構成する手段としての写真の姿、
というようなことを念頭において、
これからの生き方の方向とその方法を探っていければいいな、と思っています。


人間共同体の関心ごとが年月の経過とともに変容してきて、
現在その関心ごとの広がりは「見えるものと見えないもの」のなかで、
見える宇宙見えない宇宙、見える地球環境見えない地球環境、
見える社会現象見えない社会現象、見える自分見えない自分・・・・・。
さまざまな見えるものと見えないものの狭間で、
ぼくたちは生存しているのです。


写真はいつも、見えるものを捉えることで、
見えないものを見せようとしてきたように思います。
写真という手段は、目に見えるものしか捉えられない、という宿命を知りながら、
この見えないものにアプローチすることが、
それぞれの時の現代的なテーマでもありました。


これは現在もやはり主要テーマであり続けるようです。
そこで、大切なことはぼくたちが写真というメディアを使って、
何をするのかということです。

現在時点で科学技術が明確にしている事柄を取り入れながら、
その背景を創り成す思想というイメージ世界をふまえて、
それぞれの生き方、生存のあり方、
そして「ひと」と「ひと」との関係のあり方を、
模索していくこと、とでも言うことでしょうか。


これからの写真を使っての表現方法の基底には、
生命というものの根源を考えイメージしていく姿勢と、視点をもって、
こころ(精神とか内面といわれるもの)の安定、欲望の実現をめざすことがあります。


これは、「こころ」の深い処で、
現実表層を造っている世界というものを深い構造として捉え、
情動のレベルで新たなる安定や喜びを見いだしていくことではないかと思います。


写真を表現手段として手に入れるということは、
自分のいる場所を探しに出かけていくこと、
そしてその場所を確認していく作業でもあるのではないでしょうか。


これらのことを言葉でいうのは、ある程度簡単なんです。
それを具体的な作品にしていくことがじつは大変なことなんです。
でも、その大変だ!ということも十分に知ったうえで、やっていくしかないですからね。


まあね。わかる、感じる、ところからはじめていきましょう。

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