中川繁夫の記録

中川繁夫のブログです。

カテゴリ: 雑記帳(2)

_20200805_185208
今日は8月6日、75年前、広島に原爆が投下された日です。
朝、追悼の式典がNHKテレビで中継されているのを見ました。
痛ましい出来事が、戦争という悲惨な出来事が、多くの人が亡くなった。
その後、日本ではそういう惨事はありませんが、世界では現在も起こっています。
もちろんぼくは平和主義者です、戦争遂行してる人も平和主義者だというでしょう。
矛盾してます、平和を守るためだ、といってもだめです、平和主義者ではありません。
ぼくも平和主義者だといっていても、戦争反対に具体的な行動していません。
無責任ですけど、どうしようもないです。

_20200729_192610
インスタグラムに、毎日一枚、写真をアップして写真集にする、という計画。
今年に入って、二回目の写真集は「表現論」と名付けた建築物シリーズ108点でした。
けっこう、記憶の建築物が多かったのですが、遠くからの写真でした。
コロナ禍ではソーシャル・ディスタンスなんて言葉が市民権を得ました。
生きてきた記憶の場所で、記憶の風景を、少し距離をとって撮影です。

次のシリーズを構想しているのですが、いまのところ明確ではありません。
市中へ入って、接近して記憶のモノを撮ろうか、とも思ったりしていますが。
まあ、少し休憩期間を置いて、やりだすとけっこう大変だから、です。
毎日一枚、直近で撮った風景を、加工してアレンジして、絵にするという試み。
写真を撮る構図の法則をはずして、見れる絵にする、そんな意識で作っています。

_20200718_210702
フォトクラブ京都の7月例会を開催しました。
メンバーに新しく三名の方が参加してくれました。
何かのご縁で、というのが口癖になっていますが、ご縁です。
写真を学びたいとおっしゃる方、写真を学んでこられた二人。
クラブとはいっても参加自由な個人意思による集まりです。
一昨年9月に立ち上げ一年半が過ぎたところで、少し先が見えてきた感です。

京都表現学校は開校しているんですが、学ぶ人がいませんでした。
おひとり、学びたいと希望される方がおられるので、カリキュラムを組みます。
基礎の基礎、基本に基本を、写真表現を軸にしてとらえていく気持ちです。
あらためて、あたらしいプログラムを作り、カリキュラムを作ります。
新しい表現の方法を求めて、数人で作り出していく予定をします。
なんだか希望がわいてきたところで、気分爽やかです。

_20200627_182646
写真と映像の研究会を、コロナ禍があけたこの6月から開催することになりました。
会場は京都市内の真ん中、モスグリーンのスタジオの一角で、トーキングをします。
カメラを使う手法で、これからの写真と映像の在り方を、探っていこうとの意識です。
ハード環境、社会環境、内面環境、と作品制作の現場は、歴史的変化があります。
過去から、現状を見ていくことで、この先が読めてくる、見えてくる、と思えます。

ぼく自身は、1984年のフォトハウスを軸にして、一貫して表現現場を創ってきました。
京都においては、写真ワークショップ、京都写真学校、2020年からは京都表現学校です。
学びの場が、いつの時代にも必要で、行く先を見つけるための学びの場を創ろう、です。
過去のことを継承することは難しくないが、新しいことを創り出すのは難しい。
この難しいことを避けていてはいけなくて、未定形の未来に向けて議論する。

見えかけていてまだ見えない新しい領域へのチャレンジが必要だと思っています。
これまでにも呼びかけてきたけれど、現状に甘んじる人が多いのか、集まれていません。
京都表現学校では、表現することの基底を、想像的に理解することから始めます。
写真と映像の研究会は、表現ツールの、カメラを扱う分野に特化した研究会です。
あと何人か、メンバーを募集しているので、ぜひ、意志あ人は参加してみてください。

_20200702_175216
現代、文学の内面発見からくる表現は、病みイメージのつぶやきなのかもしれない。
このことに気付きました。
近代文学、内面発見以後の具体的な言葉表現がわからなかったのです。
ため息のようなつぶやきが、情を動かすんだな。
これは現代文学表現の発見です。
 

_20200702_175120
奈良明日香村にある飛鳥寺の飛鳥大仏は日本で最初の大仏だというふれこみです。
二度目の訪問にになるのですが、昨日、MONNJIさんといっしょに訪ねました。
歴史上、由緒ある場所、明日香で、曽我馬子が建立したとか。
曽我入鹿の首塚というのが近くにあって、歴史で習った名前が出てきます。
学校で習う日本史に登場してくるから、誰もが知っていることになるんですね。

飛鳥寺からあるいて伝飛鳥板蓋宮跡へ連れていってもらいました。
飛鳥宮の遺構があって、大化の改新の舞台だったとか、入鹿はここで首を斬られたとか。
橘寺へも行きましたが、ここは聖徳太子の生まれた処が、寺院になっている。
最近、学校では、聖徳太子ではなくて厩戸皇子とかの名称で習うようですね。
現地に立ってみて、なんとなく古のイメージを抱きながら、歩かせてもらいました。

記録として写真を撮ってストックしていきますが、自分への資料です。
ブログで公開していきますが、そのとき訪れた自分の記録を連ねています。
写真って何だろうなんて論議がありますけど、ここでは自分の記憶と呼び覚ます道具。
いくつかのベーシックな枠組みで、写真行為をしていて、公開しているところです。
写真の論、もうあきた感じで、むなしさの気持ちで、日々対処しているところです。

_20200625_161423
もう10年も前に花を撮っていた時期がありました。
ホームページ<花と小説>をつくったのが2010年4月だから、その当時です。
日本の美、この意識で身の回りを見てみると、着物があり花がありました。
日本の風土のなかで育まれ培われてきた感性、感覚に興味が向いていたのです。
大きくは文化とか文明とかの枠で、西欧ではない東洋の日本、ここに注目したのです。
写真や文学の素材として、花は色艶文化の中心軸でもあるかと思うのです。

ぼくが生まれたのは1946年、戦争が終わった翌年です。
戦後、西欧文化というよりアメリカ文化が日本文化のうえにかぶさります。
ぼくの感性はアメリカ文化に晒され、アメリカが日本よりも優位、の感覚がありました。
日本の美、これに興味を持ちだしたのはかれこれ50歳になるころでしょうか。
世界史の文明のひろがりから文化の変容を、それとなく意識しだしたのです。
日本の文化、とくに色艶もの、源氏物語から始まる情の物語に惹かれてきたのです。

花は女の象徴で、桜、牡丹、芍薬といった花たちから桔梗や撫子といった花、雑草の花。
見渡してみると花がいっぱい、それの図鑑的に撮りだして、その延長線上に小説です。
小説で、映像を越えるイメージで、ひとの情をどこまで刺激できるか、です。
イメージの領域で、絵画と写真は比較かんたん、アダルト動画とアダルト小説はどうか。
近年は動画の全盛期で、まだまだ高精度の画像が現れて、発展していきます。
それに対抗する文章の世界は、どうなのか、これがぼくの関心事では、あるのです。

_20200621_142644
源融(みなもとのとおる)のお墓が清凉寺の境内の片隅にあります。
この人は、紫式部が書いた源氏物語のモデルとされた嵯峨天皇の皇子です。
清凉寺は嵯峨釈迦堂と呼ばれている寺院です。
中学生のころから何度も行っていますが、墓を探しあてたのは最近のことです。
嵐山の渡月橋の前からまっすぐの突き当りが、この清凉寺です。

源氏物語が書かれるのは源融が生きたという時代から100年ほど後のことです。
ということは融の話、紫式部が生きたときにまでその人柄が伝えられていた。
女が好きな男、というより女遍歴する男を、女の紫式部が興味を持ったということか。
紫式部の墓の横に小野篁の墓があるけれど、篁は紫式部より150年ほど前の人です。
紫式部は970年から978年までの間に生まれ1019年までは存命していたとされています。

今年になって、大覚寺の大沢の池を散策に、料金を取るようになったので興醒めです。
この大覚寺は嵯峨天皇の住まいがあった界隈の一角で、平安京の市中からは4キロほどか。
天皇の別荘があって、市中から通ってきたということです。
北嵯峨のこの地域、興味深々ですが、なにより男と女の物語りにイメージを馳せます。
千本えんま堂には紫式部の供養塔があります、ぼくのご近所で気になるスポットです。

このページのトップヘ