中川繁夫の記録

中川繁夫のブログです。

カテゴリ: 雑記帳(2)

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京都の社寺仏閣、それから神社、巡れば巡りほど、その多さに驚きます。
まるで巡礼みたいにカメラを手にして、訪ねて行ってはその場を記録しています。
パソコンに仕舞ってあるアルバムを紐解きながら、記憶を呼び覚まします。
庶民の信仰の対象として、かなり古くから拝まれてきた場所です。
延々と続いてきているわけだけれど、最近はガイドブックを片手の観光ですね。

昨年から今年は、コロナ禍で、外国からの客が無くなり、国内からも控えめです。
このまま、どうなっていくのか、ぼくは傍観者だから、見ているだけです。
このままでは喰っていけないという人や家族には、個別に救済が必要でしょう。
まだまだ経済的に凹む人が出てくるから、ますますお金をばらまいてください。
新しい経済の枠組みを、いまこそ権力者には模索してほしいと思います。

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西土手刑場の跡地らしい、空き地になっている、祟りがあるからかも。
探して行った先竹林寺の墓地があって、その奥、北側が空き地でした。
処刑場であった、と言われてみると、空想でイメージが立ちのぼってきます。
チャンバラ映画のなかに、公開処刑の場面があったのを覚えています。
白い着物をまとった罪人が、磔にされ、火あぶりにされる、という場面です。

そういうイメージって、かって見たことがある光景のなかにあったわけです。
記憶と記録、なんて対語で、写真論を組み立てたものですが、その記憶です。
ポストモダンの時代になって、この記憶っていうやつが、表に出てくるようです。
イメージに説明が付けられて、そのイメージが歴史に記憶された場所だとわかる。
この方法でしか、静止画の写真では、記憶を表せないのかも知れません。

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六角通りの大宮あたりになるのでしょうか六角獄舎の跡を訪ねました。
ここへ行き着いた経緯を書いておこうと思います。
節分の日に達磨寺を訪ねて、その向かいにある竹林寺の立て看を見ました。
そこに幕末、勤王の志士たちが捕らえられ、禁門の変のとき、38名が斬首された。
平野国臣以下37名、未決のまま斬首、ということに興味をもったのです。

西ノ京の太子道に処刑場があり、ここから骨が出てきたという話しで、そこを探した。
しかし、斬首された場所は、六角獄舎だというので、それを探して行った。
碑があり立札があり、場所を特定したところ、そこは幼少の頃住んでいた近く。
一連の取材で、なにか自分のルーツを探しに行った気持ちになってきました。
壬生馬場町、六角通り、東へ歩いて、細い道、記憶がよみがえり、訪ねあてました。

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太子道の二条といえばいいのいか、坪井の井戸、というのがあります。
たまたま西土手刑場を探しにいったところで、出会った井戸です。
中には地蔵さんがおられて、井戸がありますが、水はありませんでした。
処刑されるおひとが、最後にこの井戸の水を飲ませてもらった、とか。

処刑場のあとを探していて、それはこの近くで見つけました。
壬生の方に六角監獄というのがあって、そこへも行ってみようと思います。
なんだか、興味が、幕末とか、勤王の志士とか、いろいろ出てきます。
京都の歴史の場所、いろいろ探索して、写真に残しておこうと思います。

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京都散策のなか、天神川の三条に猿田彦神社がありました。
何度もこの周辺には行っているのに、山ノ内へいくことになって遭遇した神社。
ここは三条通りになるのかとおもうけれど、古くからある神社のようです。

この日は蚕ノ社の方へいかなくて、山ノ内の方へいこうと思った道すがらでした。
山ノ内には山王神社がありまして、ここの西方向には天塚古墳があります。
この南北あたりが、平安京の西の大路になるような位置です。

コロナ禍のなか、ひとが集まるところへは行けなくて、ひとり散歩です。
あまり遠出は出来にくいので、近場で二時間から三時間かけての散歩です。
散歩というと目的なしみたいだけど、写真撮るときは、真剣勝負しています。

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すごい光景、人がいない嵐山、渡月橋界隈、先週末のことです。
緊急事態宣言が発表されている京都ですが、観光地がこのありさまです。
観光業が痛手を被っている、それだけじゃない、飲食店もそうですね。
ぼくなんかは、年金生活者だから、収入で直接被害はないけれど、です。
でも年金も、物価上昇にたいしては目減りしていると思っています。
世の中、経済が、雇用が、ますます不安定になっていくような気がします。
ぼくは、あまり無理しないでいいのでは、と思います。

本屋さんの、月刊誌コーナーに「リベラル官能文芸」というのがありました。
岩波の世界とか、カドカワとか、のなかにあった本、税込み800円でした。
最近は、本屋さんへよく行くけれど、ひと頃ほどは買いません。
でも、今年に入って、五冊ほど買っているなぁ、近年珍しいです。
手元の書籍類を整理していて、手元にはもう、あまり在りません。
なのに、また、新しいのを買って、全部読み切らないのに、です。

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毎年、節分で壬生寺を訪ねたときには、この炮烙の風景を写真にしています。今年はコロナ禍で、参拝はできるものの、規模縮小、参拝する人も老人が多いからか、ほとんどいなくて、でもまだ若い人が横のテントで名前を書いたり、していました。昨年の節分時にも、すでにコロナウイルスの蔓延で、自粛するように要請があったころかと思いますが、まだ人は出ていて、例年の行事が催行されていたように記憶しています。丸一年が経っても、まだまだ新型コロナウイルスの蔓延で、世界中がやっさもっさしている状況です。

延期になったオリンピックパラリンピックの開催、どうも雲行き怪しい気がしますが、まあ、無観客でとか、やることになるんやろな、と思います。政治については、ぼくは自民党支持者でないから、内閣を支持するかといえば、支持しない派です。といって、だれがする、といって野党に期待は、現在ではしていません。政治的には、宙ぶらりん感覚で、いまはもうアナーキーではないんですが、あきらめみたいな気持ちです。文学や写真のジャンルに興味あり、こちらを精力的に時間を費やしているところです。

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写真採取って言葉を使おうと思うのですが、それは植物採集とか昆虫採集とか、小学生のときに夏休みの宿題で取り組んだ採集モノと同じレベルの作業です。いくつかのグループに分けられるのですが、大きな括りとしては<京都>、そこから街角、神社仏閣、これは俗域と聖域、それから歳時記、これくらいに分けて分類して、図鑑にしようと思っています。

歳時記には、風土記を含み、祭りを含み、縁日も含まれるかも知れません。まだ明確ではないのだけれど、2008年から2017年までの10年間限定で、京都の風物を採取していて、まとめようかと思っています。京都をテーマにして、これが三度目のチャレンジです。1980年の初め頃、2008年ごろに撮影してすぐにチャレンジ、そうして2021年のいまです。
(続く)

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昭和30年頃、1955年頃、ぼくの生まれが昭和21年1946年だから、9歳の頃。
9歳といえば小学3年生の頃ですが、千本中立売、西陣界隈には映画館がありました。
大衆娯楽としての映画のことは、詳しい専門家がいるから、内容にはふれません。
でも、西陣京極のどんつきには東映の映画館がありました。
ほぼ東映の映画を、毎週のように、叔母さんに連れていってもらいました。
チャンバラ映画で、いまでいうテレビの連続ドラマみたいに、連続ものでした。

漫画で連載の赤胴鈴之助の映画化は大映でした、封切りは長久座といったと思います。
それから千本日活があり松竹座でしょうか松竹の映画館もありました。
東宝と新東宝、これの映画館は、どこだったか、京極のなかだったかも。
西陣京極のなかは、狭い通りで、どんつきが東映、その北側は千中ミュージック。
どんつきの手前にも映画館が二つあり、ひとつは西陣キネマ、洋画館でした。
高校生の頃だから1965年頃には、大映の映画館が、京極のなかにありました。

記憶を辿っているんですが、現在残っているのは、五番町に移った千本日活です。
カメラを持って前を通りますが、入ったことはありません、成人映画をやっています。
街は変容する、人が集まり人がいなくなる、栄華盛衰というところでしょうか。
高校生になって寿司寅という店で配達のアルバイトをしておりました。
しばらく閉店のままでしたが、昨年、解体され、いま更地になっています。
思い出の多いところで、京都の文化史とともに、自己史を語りたいです。

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平安京遷都が西暦794年、現在2021年だから1200年以上の年月が経っています。
このスケールでいえば、信長は人生50年といい、最近では人生100年といいます。
ぼくの生身の記憶は65年ほど前に遡ります。
1950年代の後半、昭和で言えば30年代初めころ、ぼくは10歳前後ということになる。
この当時の記憶がよみがえってきて、それがぼくの京都取材の原点になる感じです。
千本中立売、ぼくの生活圏からは少し離れているところですが、記憶のポイントです。

西陣が織物産業で栄えたのは、明治以降だと聞いたことがあります。
だから繁華街として栄えるのは、明治以降のことかも知れません。
ぼくの記憶は、1950年代から60年代、昭和30年ころからの記憶がよみがえります。
千本中立売、北東に西陣京極、狭い路地に映画館と飲み屋がひしめいていました。
一番奥をどんつきといいますが、どんつきに東映の映画館がありました。
東映映画の封切館で、笛吹童子とか里見八犬伝とか、見に行った記憶があります。
(続く)

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